私の友人たち
ママダチ以外の友人に智礼のハンデを伝える時、私は相手の反応を注意して見ています。
友人にとっては、私がいてその子供である智礼と知り合います。
長く付き合っている友人達はとても優しい人ばかりです。
ハンデに驚きながら、友達として私に対してどのように接したら良いかを
きちんと考えてくれる人が多いのです。
逆に今までとても好感を持っていたのに、急に色あせてみえる人もいますが
この人らしい反応だなぁと思うことが多いです。
その人の人柄・性格が見事に現れてくるのです。
相手が戸惑っている様子もすぐに伝わります。
私から話を切り出すか、相手が何か言ってくるのを待つかは
その時の気分次第で決めています。
今までで印象的だった友人の対応を紹介します。
産後一ヶ月も経たない頃でした。
私自身がとても気が張っていて、ハンデになんか負けないぞという風に
肩肘を張っていました。
その友人は私が子供にハンデがあることを告げると
『ふうん、そうなんだ。でも元気なんだからいいじゃない』と即答してくれたのです。
片手だけだから、知的障害じゃないから‘よかったね’と言われたこともあります。
これはとても哀しい言葉です。
私が智礼のハンデと何かを比べるとしたら、何もトラブルのない
健常の状態であったならということだけです。
一生懸命に慰めてくれているのはわかっています。
でも言われた私には、その友人が急に遠くに感じてしまうのです。
智礼のハンデに全く触れない友人もいます。
ハンデを受け入れてくれて普通に接しているのではなく、見てみぬ振りをするのです。
ですから会話や視線、その後の付き合いがとても不自然になるのです。
私の目の届かないところで左手をマジマジと見たり、私のいる所では左手の話を避けたり。
どう接して良いかわからないから、その様な態度になるのかもしれませんが、
そうされると私はとても哀しい気持ちです。
私としても息子を初めて紹介する時には相手の反応が気になります。
友人がハンデをどのように感じるかということも、
私に対してどのように接してくれるのかということも。
『ふうん、そうなんだ』と言った人のように、ハンデのことを知った、と伝えてくれる人。
口に出してハンデに触れなくても、自然に接してくれる人。
そんな素敵な人達が私と友達でいてくれることを心から嬉しく思うのです。
最後に、最低な言葉を掛けてくれた友人について書きます。
その人は智礼に向かって『母親を恨むんじゃないぞ』と言ったのです。
確かに大きくなって産んだ私を恨むかもしれません。
でも罪の意識のある私にとって、この言葉はとても無神経に聞こえ、つらい思いをしました。
私はその友人を心から大切に思っていました。
でもそんな言葉を掛ける友人にとっては、私は大切には思われていなかったのでしょう。