Gregg Allman & Butch Trucks
An interview from Jambands.com

NYCに腰を落ち着けていたABBは、今年のBeacon公演を全て完了した。幾つか の新しい曲を演奏したり、94年のWhere it all begins以来となる新作のレコーディング中であったりと、バンドは非常にアクティブに活動している。これに加え、バンドは伝説のフィルモア・イーストの1ヶ月前の歴史的公演を新たにリリースする予定だ。(注:Beaconにて独占販売開始)

バンド創始者であるGreggとButchはそれぞれ更にもっと沢山の予定を持っている。ButchはFying Frog Recordsの新しいバンドとの契約と、株式公開の準備に注力している(また、レーベルの新しいHPにも入れ込んでいる)。Greggは新しい9人編成のGA&Fに熱心だ(ホーン・セクションはBeaconでの何晩かに出演もした)。そして6月には、ABBはまたツアーに出て、小さ目のシアターでの公演も予定している。 以下の記事はGreggとButchと別々のタイミングに、色々な話題についてそれぞれの見解を示してもらえるよう共通のトピックを用意してインタビューしたものを、アレンジしたものだ。 

 

Beacon公演
Beacon公演はバンドにとって毎年のハイライトとなっていますか?

GA-ハイかどうかは分からないな、だって寒いからね(笑)。だけど、明らかにこの時期が一年の中で俺たちが楽しみにしている季節であることは間違い無い。普通は寒いし皆退屈で、金さえあればカリブ海に行っているところだ。さもなくば、スタジオに入ったりね... いま俺たちもやっているところだけど。

BT-いつも休暇のようで大好きさ、本当に好きだよ。特に最近の何年かはね。単純にとても楽しんでいるよ。何もプレイしない6ヶ月のオフの後でここに出てきてやることが好きなんだよ。沢山のものが自分の中に溜まっているし、それを出してみたいと思うしね。それをするにはここは素晴らしい場所だ。ヴァイブも素晴らしい。国中のあちこちから皆やってきて、素晴らしい気持ちを抱いている。6ヶ月プレイしていない僕達には素晴らしいシチュエーションだよ、プレイする準備をして、皆も聞く準備が出来ていてね。

最初の2、3晩はちょっと荒かったね。なぜなら6ヶ月もプレイしていなかったから手に豆が出来てしまうんだ。そして血が出てしまってね。2日目と3日目 は単なる地獄だよ。歯軋りしながらね。シンバルやドラムを手で叩くんだけど、生のハンバーグのような感じだったよ。だけどいくつかのShowが終わって、固い感じに戻ってきたけどね。

本当に本当に素晴らしいものになってきた。とても良い伝統になったから、これからもずっとずっとやりつづけていきたいよ。 

新曲とレコーディング・セッション

GA-3日前にリハーサルをやり始めたんだ。今のところ本当にうまくいっているよ。俺はここに少し早く来たから、Warrenと幾つかの曲を一緒に書くことが出来たんだ。いくつか本当に良い曲が出来たよ。すごく良い配列で曲が集まってるよ。事実として、うん、ほとんどアルバムには充分な量まで行っているよ。こうしているのがとても気持ち良いし、曲のアレンンジを昔みたいにしらふでやることは素晴らしいね。本当に久しぶりだけど.... 

それでは禁酒はうまくいっているんですね? 

GA-おぅ、そうだよ。ほとんどそんなことも忘れているような状態だよ。つまり、酒から遠く離れると、酒も遠くに離れていく、そんな状態だ。

あなたとWarrenはどのような曲を一緒に書いてるんですか? 

GA-とてもオールマン・ブラザリーなタイプの曲だ(笑)。オールマン・ブラザリー.... うん、名言だな!俺が言いたいのは、同じような曲、同じようなヴァースということではないよ。とても刺激的な曲がいくつかあるよ。既に6曲はレコーディングが終わったんだ。素晴らしいブルース・チューンが幾つかと、とてもファンキーな曲が少し、いい感じのスロー・バラードが少し... これがいまのところ終わっている曲の感じだよ。これからあと2曲、3曲は書くつもりだ。

BT-思うにDuaneが死んで以来最高のレコーディングだと思うよ。5日で6曲をやったんだ。これがどういう意味か分かるかい? 何年もの間、一つの曲を覚えるのに5日や6日掛かっていたんだよ。スタジオに入り実際に5日で6曲やる...  僕達は顔を見合わせて「こんなのあり得るかい?」と言ったよ。

 ファースト・アルバムは2週間で作ったんだけど、それから僕達はスタジオで演りこむことにどんどんのめり込んでいったんだ。そしてようやく遂に、 スタジオに入ってきて座ってただプレイする、という最初の状態に戻ったんだよ。誰かがやり出して、そして皆で演奏して、いい感じになったら終わり。Win Lose or Drawの時にはあのクソレコードを作るために8ヶ月もの間、やり直しにやり直しを重ねたんだ。ほんの少しのしょうもないミスもやり直しを繰り返した。最高のカットはゴミ箱に入れてしまった、何故なら素晴らしい感情がこもったカットはレコーディングのまさに最初の頃のものだったから。最終的に完成という段階では、ミステイクは全くなくなっていたけど、それは同時に感情の全く無いものになってしまっていたんだ。魂が全くこもっていないものに... だから、結局あのアルバムはとてもクリーンで殺菌されたようなものになってしまったんだ。 ロックンロールの世界では1つや2つのミスはあるだろうし、そんな感じが皆好きなんだ。それが激しさってものだ。そして僕が思うに、今回のレコーディングは30年間で初めてそんな気持ちに戻ったものなんだ。 

新曲の中で気に入ってるものはありますか?

BT-「Old Before My Time」という新しいバラードをGreggが歌っているよ。これはとてもゴージャスな曲だよ。演奏という意味では僕のお気に入りで はないけど、曲として大好きだし「Melissa」と同じぐらいの衝撃があるよ。アップテンポのインストもある。ジャジーな感じで、まだタイトルはつけてないんだ。明らかに定番となるものだと思うし、僕の演奏という観点からもこれ以上無いというほど興奮できるから、やっていて楽しい曲なんだ。この曲は僕を限界まで押し上げてくれる。この曲をやるためには、知っている限り全てのことをやらなきゃならないんだ。いまだにこの曲についてはタイトルを探しているところなんだ。「Bare in mind」という曲名を思いついたけど、Warrenがやってきて、「良いんだけど.... Barren Mindなんてどう?」なんて言うんだ。僕は「そうだ!サブ タイトルはジョージ・ブッシュにしよう!」とか言ったりね(不毛な心と中東のバーレーンを掛けたオヤジギャグ?)。とにかく、曲名は決まっていない。この二つのどちらかに決まるとは思わないけど....

新作はいつ頃発売になると思いますか?

BT-僕の予想では来年の2月、Beaconに戻ってくる直前になると思う。 


Warrenの復帰

Warrenの新たな参加はバンドにとって何を意味しますか? 

BT-Warrenは今ゲームを支配する位置にいるよ。彼は創造性、エネルギー、そして人生の全てにおいて火がついてしまっているね。僕の人生ではあんなに働く奴は初めてだよ。24時間でも弾き続けるよ、止まらないんだ。彼は曲も書くし、演奏もする。彼をバンドに戻すことができて本当に素晴らしいよ。

思うに彼はGreggを元の位置に引っ張り出すことの手助けを沢山しているよ。彼はGreggの頭の中でずっと眠っていた沢山のアイデアを引き出しているんだ。二人が合体して、こうした素晴らしい新曲たちが沢山生まれているんだよ。 WarrenはGreggの側に座って、彼がどうやったら完成できるか分からないでいるアイデアを、一緒に仕上げることができるだろう。本当にすごいことだよ。もしどれかshowに行くことが出来たら、それを感じることが出来るよ。彼が戻ってきて本当にグレートだ。 


GA-彼は昔からの親友だよ。彼のことが本当に、ほんとに大好きなんだ。彼がバンドに戻ってきて本当に嬉しい。Dickeyが彼を連れてきてくれてほんとに嬉しいよ(笑)。 

新しい蔵出し音源

最近のスタジオでの作業に加え、過去の音源のリリースも控えてますね? 

BT-もうすでに仕上がっていて、2〜3週のうちに出てくるはずだよ。「Live > at American University」だ。フィルモア・イーストの一ヶ月前にレコーディングしたんだ。歴史的にみればとてもクールだし、流通していないものとしては素晴らしい音源だよ。

これがこれから毎年のようにやるようになることなんだ、Dicks Picksのようにね... 何百時間という古い音源やアウトテイクを見つけたし、ユニバーサルは何百と言うマルチトラック録音のライブ音源を持っていて、今それを僕達の方に取り返そうとしているところだ。毎年古いものの中からベストなものを選んで、インターネットとPeach Corps(ファンクラブ)を通してレコード店に出回る6ヶ月前には直接販売するようにする。

今回の音源を聞くにあたり、このShowについてはっきりとした思い出はありますか? 

BT-いや、ないね(笑)。あの頃は毎年250ものshowをこなしていたことを理解しなきゃ.... それらは全てめちゃくちゃ良かったし、あの2年間には何か本当に素晴らしいことが起こっていたんだ。それをこの音源は記録しているんだよ。激しい演奏を聞くことができるさ。荒っぽいところもあるし、Fillmoreにくらべるとタイトでないところもあるが、エネルギーに満ち溢れているよ。 

「Whipping post」は信じられないよ。事実、3年前、この曲がまさに死に掛けようとしていた頃、ある結論に達したんだ。Oteilと僕はPalm Beachにある僕の家にいて、このShowのCDを受け取ったところだった。どんな感じだったか考えることができたんだ。このCDを掛けて、Oteilと僕はよく聞いていたんだ。Whipping postがかかると僕達は顔を見合わせて、目が飛び出んばかり.... そして、「この曲をクソ遅くやり過ぎていたよ」と言ったんだ(笑)。まさに素早く、動きがあってエネルギッシュだった。いつしかこの曲をスローダウンさせて、どうしようもない状態にさせてしまっていたんだ。とてもまったりしてしまっていたんだ。だから次の年にはスピードを上げて、またとても楽しくやることができるようになったという訳なのさ。 

GreggのバンドとBeaconのエピソードについて 

ABBのツアーに加え、他には何か予定していることはありますか? 

GA-俺は自分のバンドでヨーロッパに行く予定だよ。

GA&Fについて教えて下さい。多くの人が現在のラインナップについてはよく知らないと思います。

GA-実際に何人かのホーン・プレイヤーにはBeaconで会うことができるだろう。何晩かは一緒にやる予定だよ。バリトン、テナーサックスにトランペットだ。彼らとは一緒にやりだしたばかりで、まだツアーは一度だけだよ。彼らは良いプレイヤー達で、ABBとも2,3曲やる予定だよ。でも、俺の新しいバンドを聞きに来なきゃ。9人編成で、刺激的だぜ。

Butch、Beacon公演では何人かのゲストがいましたね。月曜はGA&FのホーンとDickinson兄弟が飛び入りしましたね。あなたの視点からこれらのshowはどのように映りましたか? 

BT-素晴らしい時間を過ごしたよ。「Been Loving You Too Long」と「Southbound」を2ndセットにホーン・プレイヤーと一緒にやった。彼らはまた戻ってきて「Can't turn you loose」もやった。そして「Please call home」をホーン付きバージョンでやろうとしたけど、僕が曲の始まりを間違えてしまったんだ。4分の4拍子でやるはずなのに、8分の6で初めてしまい、クソみたいな音の塊になっちまった。そんな時昔はGreggが怒りまくっていたが、その時は笑ってジョークを言っていたよ。曲のいくつかの部分、8分の6ではどうしても叩けない部分なんかを除いて、Greggは素晴らしくまとめ上げてくれた。まぁまぁの出来になったと思う。 

セットが終わったら、Greggがやってきて冗談を言うんだ。「ボク、この曲のせいで俺達に長い間の借りを作ったな!」って... 僕は笑いながら「分かってるよ、信じてくれ!」と言ったんだ。曲を始めてすぐに「あ、あ〜」という感じだったんだけど、なんとかあるべき姿に曲を戻そうとしたんだ。けれどJaimoeとDerekは8分の6拍子にがっちり乗っていて、戻ることは出来なかった。だからそのまま突き進むしか無かったんだ。その後僕たちは、今までのベストといえる「Mountain Jam」で締めくくったんだ。 



フライング・フロッグ、SCI-FI(サイエンス・フィクション)、Bob Dylan、そして「The Zone」

 Butch、6ヶ月ほど全然プレイしていなかったと言っていましたよ ね?あなたのフォーカスは明らかに「Flying Frog Records」に絞られていました ね。何か目新しいこと、そして現在進行中の話などありますか?

BT-そうだねぇ、新しいバンド「Bluestring」とサインして、 彼らの新作を秋にはリリースする予定だ。また、次の2〜3ヶ月の間に3つの新しい バンドと契約したい。3バンドと契約して、年末までに3つ4つのアルバム をリリースする、これが今の目標だね。

そしてもうすぐに僕たちの会社の株式公開をアナウンスする予定 だ。これまでの3年間馬車馬のように働いてビジネス・モデルを確立したん だ。それによって契約したアーティストは後悔したり混乱することがないようなモ デルをね。と同時に、投資家のお金をもらってそれがどこに行ったか分からないな んてことが無いように、ビジネスモデルを作り上げたわけなんだ。目論見書は 正確であるべきだし、これからどんな道に進むのか正確に謳われてなければならない し、それを確実に実行していかなければならない。これが今僕が最も集中しているこ となのさ。一ヶ月のうちには出来るようになると思うし、どこで株式を購入可能かも アナウンスできると思う。これで関わりたいと思う人はいくらでも出来るようになる よ。

また手直しされたウェブサイトもあなたにとって自慢でしょう?  何かこれについて言いたいことはありますか?

おぅ、話すより今すぐflyingfrogrecords.comをクリックしてみな いかい?皆見たほうが早いから特に話す必要は無いよ。サイト自体が物語っている よ、とても雄弁にね!皆にとって一日に一度は必ず訪れる場所になっているけど、こ れが出来る前のサイトは1年に一度以上訪れている形跡は無かったね。いまやこのサ イトには少なくとも一度に100人以上のアクセスがあるんだよ。大好きだよ。沢山の 情報と、多くの出来事があるwebサイトさ。やっと自分のものが持てて本当に嬉しい よ。

Gregg、あなたが家にいるときの典型的な一日を教えて下さい。

GA-むむむ.... 新しいバイクを買ったんだ。だから、何をいつもして いるか分かるだろう?ハーレーダビッドソンで、特別大きなものを俺のために作って もらったんだ。113インチのものだ。普通は88インチだよ。すごいぜ、これは。でっかいカムを始め、全てが揃っている。

じゃあいまだにバイクには乗ってるんですね。

GA-そうだよ。俺は3台、ワイフが1台持っているよ。面白いぜ、特 に田舎の方に住んでいたら尚更だ。NYCのバイカーたちを見ると、「神様、やつら はどこに行くんだい、一体?」と思っちゃうんだな。何より寒いじゃないか。タク シードライバーがいなくなる真夜中に乗るんだろうな。

バイクに乗ることは演奏することと同じような気分をもたらして くれますか?

GA-昔酒がもたらしていたのと同じような気分かな、正直に言っ て。一種の逃避だね。死んでしまうかもしれないけど、酒ほど有害ではないよ。酒は ゆっくりと殺してくれるんだ。だけど俺はもう注意深くなったよ。

演奏している時の感情という観点では、ステージにいるときはど んなことを考えているんですか?

GA-その瞬間にやっていることを考えているよ。なぜならもうそれ が最後になるかもしれない訳だから。いつもそうやって考えるようにしているよ。全 てにおいて明確に捉えるようにしているよ。

あなたは「ある領域」に入っていくことを話していますね。ス ポーツ選手と同じように...

GA-そうだね。オーディエンスのいない世界、バンド全体が いなくなってしまう領域がある。ほとんど自分の体から自分が抜け出て、全てが信じ られない自動操縦のような形で行われてしまうんだよ。なんだか宇宙的のように聞こ えてしまうけど(笑)、だけどそれが音楽が作用しているということなんだよ。

音楽の全ての秘密を紐解いたら、タイムトラベルが出来るように なるかもしれませんね。

GA-(笑)あんまりこの話題で盛り上がり過ぎないようにしよう ぜ。 「タイムマシーン」という映画はみたかい? ああいった映画が大好きなん だ。あの映画すごく見たいなぁ。スタートレックが大好きで、Sci-Fiの番組を見るの が好きなんだよ。

トレッキーですか!(スタートレック好きの人のこと)  殆どの ファンはあなたがSCI-FIオタクということは知らないのでは?

GA-俺は昔のやつが好きなんだ。 俺が凄く好きなのは「アウ ター・リミット」だ。「トワイライトゾーン」と同じぐらい重みがあるよね。

暇な時には何か新しい音楽を聞いたりしますか?

GA-うん、マッチボックス20とか(笑)。 中にはいい曲もある ね。俺のワイフがついこの間、「Barenaked Ladies」のテープをくれたよ。よく聞 いてるぜ。音楽シーンでも時代が変わったな、っという感じがしたよ。そしてご存 知、Dylanの新譜だ。かなり細かく聞いているよ。

Dylanについてはどう思いますか?

GA-彼はいつでも進化し続けてるよね。個人的に彼のことは知らない し、あったことも無いんだ。Dickeyは彼のレコードで何曲かに参加しているよ。と もかく、それは聞いたかもしれないな(笑)。

あなたは彼の音楽が好きなんだと思いましたが?

GA-彼は沢山名曲を書いているぜ。このシーンで長いこと第一線だよ。 国中で彼は音楽的なシンボルなんだ。イギリスの若い奴らがここまでBobを見に やって来る、すごいことだよ。奴らは皆Bobみたいな格好をしているけどね(笑)。

 

小さな兄弟(そして道は続く...)

Butch、姪のDerekの赤ちゃんには会いましたか?(Derekと妻であ るSusan Tedeschiは最近子供をもうけ、Charlesと名付けた)

BT-うん、実際彼は今この街にいるからね。僕たちは久々に叔母と 会ったんだよ。僕の親父が週末に兄貴と一緒にやってきた。Derekの親父と僕たち親 戚9人が車に乗り込んで彼女に会いに行った。昼飯を食べながら家族の再会を楽しん だよ。Susanも赤ちゃんと一緒だったから、皆あやしたりしていたよ。彼は可愛い ぞぅ。間違いなくTrucks家の子供だな。亜麻色の髪の毛で、耳の後ろにBBがある。彼 にも間違いなくあったぞ、Trucks家の証明だ!

Susanがこちらに来ているということですが、彼女がステージで バンドと共演することはありますか?

BT-いーや無いと思うよ。1週間前に子供が生まれたばっかりだぞ、 おい! 彼女が一緒に出来たら素晴らしいことだけどね。

おしまい!
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Gregg Allman
An interview from HTN Issue #31

gregghtn.JPG (215471 バイト) HTN
:シスコに何年か住んだ後、ここジョージア州のサバンナに移ってきましたね。南部の紳士としての生活はいかがですか?
GA
:(笑)... うん、ここでの生活が大好きだよ。ジョージアかサウス・キャロライナの海沿いに行きたかったんだ。昔済んでいたマリン郡から何度か旅行をしていた時の帰りのことだが、Staceyが帰りの飛行機の中で読んでいた本に、「生活するのに人気が高い場所は、マリン郡とサウスキャロライナのチャールストン」とあったんだ。そんなこともあって、遥か南まで移ってきた訳。人ゴミを避けようとしていて、それを実行したという感じかな。今住んでいるところは本当に田舎だよ。苔むした樫の木の森や、伐採されたばかりの材木があったり、全てがとても美しい。暗くなってくると、家の周りは本当に真っ暗だ。街灯もも無いしね。すぐ側には川もある。素晴らしい景色だし、綺麗で良い匂いの花も沢山ある。本当に素晴らしいよ。

HTN:
都会の生活よりも、平和で静かな田舎の生活の方が良かったのですか?
GA:
最近はロードで十分都会的な生活を楽しめるよ。若い時は、何か見逃してしまうんじゃないかと不安になる。自然の樫の木を鋸で切ったりしている時に思うんだ。これまで立ち止まって薔薇の匂いを嗅ぐことも
なかったけど、今ようやくできるようになったなと。しらふになってからというもの、俺の五感は全て良い調子で、それらにとても感謝しているよ。

HTN:
しらふになって五年目ですよね?
GA:95
年に酒を止めはじめ、96年にはそれが定着して、その後毎年良くなってきた。皆に勧めるよ。

HTN:
禁酒があなたの人生にもたらした様々な改善について、いまだにあなたは驚いていますね。臭いを嗅いだり、よく味わったりということを当たり前だと思うようになり始めましたか?
GA:
(笑)... いやいや... 昔は色んな事を当たり前だと思っていて、今はそうは思ってないことは沢山あるよ。例えば、「生きている」ということだ。うーん、分からないけど、昔の無駄な日々は誰か別の人の生活で起こっていた夢じゃないか、と思えることもあるよ。全然懐かしくないしね。地獄のような気分だったということは覚えているけど... うん、それは凄く良く覚えているんだ。今は、朝食べたものの口の中の味をずっと覚えていられるし。いつも朝起きると、「オー、ボーイ! どうもありがとう!」って感じだぜ。

HTN:
他の人達に比べ、禁酒するということに成功した秘訣って何なんでしょう?
GA:32
歳の時に最初に禁酒しようと思ったんだ。まったく、実行できるまでに30年も掛かった。何でそんなに掛かっていたのか分からないが。物事は必ずある理由があって起こる、ということを最近本当に感じているんだ。妻のStacyEdgar Cayceという作家にはまっていて、彼の本をいくつか紹介してくれたんだ。起こるべくして物事は起こる、というような概念だよ。中々のみこむのは難しいが、物事がどんな風に
起こっていくのか、良く分かるようになったね。超常的な力ってあるのかもしれないね。

HTN:
最後にあなたに会った時、財布から自慢げにハーレーの写真を見せてくれましたね。あなたのバイクについて教えてもらえますか?
GA:
今までずっとバイクに乗ってきたし、今は素晴らしいバイクが幾つかあるよ。最も新しいものは99年のDIAMOND WIDE GLIDEで、新型のツインカム・エンジンが搭載されているよ。信じられないよ、コイツは!めちゃくちゃ速いぜ。俺が好きなのは、多分それが写真を見せたものだと思うが、95年のFat Boyだ。もう
殆どカスタマイズされているので、Fat Boyのままになっている部分はフレームとエンジンのローエンドの部分だけだ。OaklandRon Simsが組み立て、Jim Horstがペイントしたんだ。そのルックスといったら信じられないほどすごいぜ。ブルー、グレー、ブラックのデジタル・フレームがデザインされ、フロントと後ろのフェンダーにはマッシュルームが塗られている。本当に素晴らしいペイントだ。
Stacey
はスポーツスターの883 Huggerに乗っているんだが、彼女も大好きだね。めちゃくちゃ乗りこなしてるんだぜ。155cmの彼女がお尻の上で髪をなびかせてハーレーを運転しているのを見るのはとてもいいね。ベースを弾いている女性を見るのや、ハーレーに乗っている女性を見ると、何かグッと来るものがあるんだよね。何故か分からないが、マジックだね(笑)。

HTN:新しいコルベットも買ったそうですね?
GA:
そう、2000年製の5世代目のコルベットを持っているけど、こいつは何かが違う。俺が買った6番目のコルベットで、他の今まで買ったどのコルベットとも違う。380馬力もあって、更にエギゾーストが出るようにしてあるんだ。ほんとに素晴らしいぜ、これは!こいつでこの間、ママに会いにデイトナまで行ってきたんだ。
80mph
ぐらいからどんどん調子が良くなっていくんだ。あと2つか3つ、場所的に買う余裕があるけど、今のところこれには文句無いね。そんな余裕も田舎に住んでいることの利点だよ。


 
HTN:Beacon
Warrenと再び一緒にやりましたが、どんな風に楽しめましたか?
GA:すごい刺激だったし、この夏また一緒にやることを本当に楽しみにしているよ。Beaconが始まる前に、Warrenは家までやってきて3,4日一緒に過ごしたんだ。何曲か一緒に書いて、その後また彼は自分の予定に戻らなきゃならなかった。奴は俺の半分しか寝ないんだぜ、何て奴だ!うちに来たら「猛烈な睡眠」って奴を味わうことができるよ。うちに来た人達に聞いてみるといいよ(笑)。とにかく、3曲の素晴らしい曲を仕上げ、Beaconで遂に日の目を浴びたんだ。ライブでそんな風に仕上げるとうまく行くんだ。思うに、人々を前にしてやると、うまくやんなきゃというように追い込まれるからだろうね。新しい曲を紹介するときは…. そうだ、オーディエンスに気を配って…. 何故だかいまだにステージ・フライト(開演前の緊張)があるんだよ。

HTN:
こんなにずっとやってて、未だに?
GA:
そうだよ、そう。風呂から上がって汗をかき始めて、最初の曲の最初の歌詞の半分ぐらいを歌うまで、汗がひかないんだ。そしてその後は大丈夫になるんだけど。でも、それが無いと、何かが思いっきり悪い方向に行ってしまう気がするんだ。何だかとても馬鹿らしい現象ではあるんだけど、こういうもんなんだろう。これを受け入れることを学んできたけど、最初の曲が終わってから同じようなことが起きる唯一の瞬間は、新しい曲を紹介する時だ。そんな時はオーディエンスを黙らせたり、彼らをどこかに行かせる訳にも行かないので、目玉を頭の後ろにやって神様の為に歌っている気持ちになって、たまたま人々がそこにいてそれを見ている、なんていう気分にしてみたり。でもこれは自分で思いついた訳ではない。ある年老いたブルースマンがずっと昔に教えてくれたんだよ。自分が持っている疑念と向き合うエネルギーを、オーディエンスが与えてくれるんだ、ってね。

HTN:Warren
と曲を作るプロセスについて教えてもらえますか?
GA:
プロセスなんて無いよ。あったらいいと思うが、曲が世の中に沢山あるのと同じぐらい、曲の書き方だって沢山あるんだ。気持ち良いと感じられないとね。グルーブを掴んでしまえば、曲とともに流れていくものだけど、そのグルーブを見つけるということが難しいところなんだ。一緒に曲を書いていて楽しい人ってのは中々いないんだけど、Warrenとは本当に簡単にできるし、どの曲も違う形で生まれてくるんだ。
例えば、ある曲を書いていて、途中で止まってしまった。俺は眠りに行って、彼は自分のカミサンと電話で話し込んでいた。その後彼はピアノに座ると、俺が何日か前に取り掛かっていた曲を見つけたんだ。で、それがうまくフィットして中断は解消されたんだよ。俺が書いたものではあったけど、こういった特定の曲を考えてもいなかったんだよ。


HTN:
いつもはピアノで書くんですか?それともギター?
GA:
どちらもリビングに置いてあるんだ。部屋に入るとどちらか適していると思われる方を掴んで、始めるという感じ。ギターの良いところは、どこでもできるってことだが、ピアノは和音でのボイシングを考えたい時やその他の選択肢を考えるときにとても良いね。だから、俺はどちらかと言えば鍵盤で書くほうが好きなんだが、ギターももちろん常に出番はあるよ。例えば、ピアノ版メリッサ ノー!何も訴えてこないよ。ハモンドで書いた唯一の曲が、「Dreams」だ。

HTN:
多くの人が、Melissaこそあなたが初めて書いた曲だと思っていますが、以前あなたはその前に少なくとも250曲はゴミ箱に捨てたと言っていましたね。
GA:
その通りだ。良い曲に辿り着くまで、多くのひどい曲を作るもんだよ。長い間Melissaは鞄の中にしまってあったんだ、67年に書いてからね。初めて日の目を浴びたのは71年のEat a Peachのレコーディングの時だよ。兄貴のお気に入りの曲だったんだけど、バンドに合う曲だとは思わなかったんだ。彼が死んで、俺たちはレコーディングを仕上げようとして3つの曲を持ち寄ったんだ。ついに使うことになった「Melissa」、「Ain’t Wastin’〜」、「Le Brers」の3つだ。

HTN:
そして勿論そのアルバムはDuaneが書いた唯一の曲と言われている「Little Martha」で締めくくられています。本当に美しく、優しい曲ですね。あれは彼がアコースティックギターで弾く典型的な曲のタイプですか?
GA:
まさにそうだ。いつもああいった感じの曲をずっと弾いてたよ。彼がずっと前から持っていたリックのひとつで、4年もの間俺は彼がそれをあんな美しい局に発展させて行ったのを見ていたんだ。あんな感じのものはもっと出来ていただろうね。

HTN:
以前にLeo Kottkeが演奏するとき、こんなことを言ってこの曲を紹介していましたよ。「この曲を最初に聴いた時は泣いたよ。何故なら、いつも僕の頭の中にはあってどうやって弾いたらいいのか分からなかったこの曲を、Duaneが書いたんだから!」という風に。
GA:本当?冗談だろう?それは重いな。む〜ん….

ここからPart2!
HTN:あなたが過去に賞賛の意を表したもう一人のアコースティック・プレイヤーはTim Buckleyですよね。
GA:そうだ、彼からはものすごく大きな影響を受けた。カリフォルニア時代のルームメイト、Jackson Browneと同様にね。なってったって、最初に南部から出てきた時には、俺が知っていたのはR&BとBluesだけだったんだから。彼らは俺に、もっとフォーク寄りのアプローチに目を向けるように仕向けてくれたのさ。トラヴィス・ピッキングを学んで、サムピックをつけたりしてね。未だにしているけど、そうするとずっと着けてないときになってしまうところが玉にきずだ。全てが面白いと思えたので、それから今度はそれらを全て組み合わせて、自分のスタイルを作って行ったんだ。フォークっぽい音と、ソウルフルな歌の組み合わせでね。結果どのようになったか言い表すのは難しいけれども、Multicolored LadyやMidnight Riderなんかはこんなアコースティックのスタイルが無ければ出来なかった曲だよ。未だにアコースティックを弾くのは大好きだよ。エレキは随分前にオサラバしてしまったけど... 鎖で繋がれた竜がそばにいるようなもんだよ、すごく脅かしてくれるんだ。才能の無さやテクニックが不足していることを、エレキのボリュームで補うことはできないよ、間違いないね、それは。トーンとかってものは理解しているつもりだ。悪く思わないで欲しいんだが、本当に素晴らしいギタリストは、バンドにもの凄く多くのものをもたらすことができるんだよ。だから、そんなギタリスト達はみんなある意味クレイジーなんだよ。

HTN:ABBは最近ギタリストが代わりましたよね。ビーコンで私が気付いたことのひとつは音量が下がって、そして....
GA:30年を経て、遂に!!!

HTN:そしてあなたは突然ずっと攻撃的なオルガンを弾くようになっています。しらふになったことが影響しているのか、それともただ単にあなたの音が良く聞こえるようになったのか、ということを私は考えていました。
GA:実際には両方だろう。どちらも正しいね。バンドをやっているということは、女性と関係を持っていることと似ているんだ。君が本当の「悪い関係」というものに陥ったかどうか知らないけど、少しずつだがおかしな方向に持っていく人間と付き合っていくことやこじれてしまった関係に対処する術って物を人は覚えるものなんだ、ということが分かって、非常に驚いているよ。でもそれは、その関係が終わって初めて気が付くものかもしれないが。本当に多くのことが変化して、心の平和が沢山保てているようになった。全ての変化はよりよい方向に行っているようだね。

HTN:変化は避けられませんが、あなた達のような組織だとそれはショッキングなものになりますね。
GA:そりゃそうだねぇ。非常に沢山の理由で、バンドを30年以上もの長い間維持していくのはとても難しいことだよ。やったりやられたり、そんなことが多いから結婚や女性との関係に例えてしまうんだよ。バランスを維持しなければ、皆が苦しむことになる。ずっと息苦しい状態ではあったが、それはこのバンドの歴史でもあり、ある意味良い部分でもあったんだよ。

HTN:長い間ABBで唯一の「Allman」であり続けることは、辛くはなかったですか?
GA:ずっとそうだったねぇ。今はある意味もっとだね。ドラマー2人は後ろにいるけど、俺は最前線だ。ビーコンでのある晩のことさ、あたりを見回してみると、俺が唯一の前列での生き残りだということに気が付いたんだ。このことで全てのことににより感謝するようになったようだ。ひとつのことに固執することは簡単なことではないが、このことが他の沢山の良いバンドがこんなに長く続いていない理由なのかもしれないね。
俺の兄貴や、Woody、Oakley、皆交換が利かない人間ばかりだ。何故なら彼らは全て独特の個性を持っていたからだ。でもそれは、全ての仕組みが終わってしまうということではないんだ。俺たちには演奏する曲が沢山残っているからね。

HTN:そしてWarrenをバンドに戻したことは、何か変化をバンドにもたらしましたか?
GA:うん、まず始めに、バンドにもう一人シンガーが増えるということだね。彼は一緒にハーモニーパートを歌っても素晴らしいし、リードボーカルでも素晴らしいよ。少しだけ俺にも似た歌いまわしをするから、一緒に歌うことは大きな喜びでもあるね。そして彼のギターが大好きなんだよ。彼のプレイは多すぎないんだ。どのフレーズにもフィルを必ず入れるなんてことは彼はしない。自分の音が聞こえるためだけに弾くってこともしないしね。彼は皆が一緒になることを助けていると思うね。ビーコンではバンド全体が非常にタイトだったよ。

HTN:そしてあなたとChuck Leavellは本当に久々にステージを共にしましたね。
GA:あれはもうひとつの大きな刺激だったね。彼はとてもスマートな男に変わっていたよ、そしてもちろん彼は尋常なプレイヤーじゃないからね。素晴らしいオーケストラのような雰囲気だったよ。特にホーン・プレイヤーがゲストで出てきた時には本当に刺激的だったよ。ホーンセクションは大好きだからね。74年には28ピースのオーケストラをソロのツアーに連れて行って、それからずっと同じことをまたやりたいとずっと思ってきたんだ。今はあの時よりも自分自身年季が入って、熟練されたからね。そしてしらふになっているから、もっとずっと吸収することができるはずだ。もしからしたらもう一度やるかも知れないな。経済的に可能とは思えないが(笑)、なんとかしてやりたいもんだ!

HTN:それは素晴らしいでしょうね。非常に前向きに見えますね。
GA:そうだね、そしてWarrenとの曲作りが、俺をスランプから抜け出させてくれたんだ。事実、そうなると思っていたが、とても嬉しいんだ。いくつかのプロジェクトが走ろうとしているし、前進する用意はできているぜ。

HTN:それでは、私達は新しいアルバムをもうすぐ見ることができるのでしょうか?
GA:おぅ、誓うよ。ABBのアルバムか、ソロアルバムのどちらかだね。恐らくABBのアルバムが前になるだろうね。もう締切をとっくに過ぎたような状態になってしまっているしね。ライブ音源は出し尽くしたし、スタジオに入らなきゃいけない時間はとっくに過ぎてしまっているからね。

HTN:ABBでは爆発できていない思いをソロアルバムで発展させる、というのがあなたのゴールではあったのでしょうか?
GA:全くその通りだね。開かれたフィールドのようなんだ。別に特別何をしなきゃいけないってのは無い。ABBではステージで聞くのとアルバムで聞くものは殆ど同じだったんだ。だけど、俺の自分のレコードではストリングスやボーカルで曲をもっと甘い感じにしたり、反対に俺の歌とアコースティックギターだけにしたりということは自由に発想することができる。どんな風に自分が気に入るかを確かめるために冒険しているようなものだよ。いつも何か新しく挑戦するものがあるんだよ。

終わり!
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Guitar World Exclusive interview...
Warren Haynes

「年取ったら良く寝れるだろうね、きっと。」ヘインズは笑いながら話す。
「今やるべきクールなshowが多すぎるね。」

GW:ファンはABBのメンバーとしてのBeaconでのカムバックを、「凱旋帰国」のような
ものとみています。あなたにとってもそう思えましたか?

HAYNES:気持ち良かったね。4年ぶりだったし、戻ってきて心地よかったし、それぞれのShowでその気持ちも強くなった。バンドも本当に良い音を出してたし、沢山の良い曲を演奏できたよ。

GW:あなたの演奏はとてもよくコントロールされているように見えました。あなたが素晴らしいプレイヤーだということは、個人的にずっと前から思っていますが、更に次のレベルに踏み込んだという気がします。演奏において更なる成長を成し遂げたという気持ちはありますか?

HAYNES: ずっと良くなってきていると思うよ。Beaconでは、皆が知っている「ABBで演っている時の僕」とは違う役割を果たすことになった。何故なら、Dickeyと一緒に演っている僕に人々は慣れ親しんでいたけど、僕とDerekとの関係ってのは全く違うものだからね。昔ABBとやっていた時を振り返ると、今はもっとうまくなった気がするけど、どの程度、いつから?という見方では分からない。ただ、今回やっていたこ
とについてはすごく満足しているよ。

GW:あなたのトーンもすさまじいものがありましたね。全ての音を完璧に捉えて
いるようでした。機材を教えてもらえますか?


HAYNES: 3つのヘッドをあれこれと使い分けたよ。何年も使っている古いSoldano、僕の為に作ってもらったWise Toneというメーカーの100ワット、これはトーンとボリュームのノブしか無い。あとは、Cesar DiazのCD100で、これも長い間使っているよ。この3つを使いまわしていたんだけど、全てEnglのセレッションスピーカー搭載4x12インチキャビネットを通しているよ。ABBでは、あまりエフェクターは使わないんだ。グヤトーン製のディレイをちょこっと、そしてボリュームペダルを少しだ。Muleでやる時は沢山使うし、P&Fでも少しだけ使うけど、ABBではアンプにストレートに近いサウンドがいつも好きなんだ。

GW:DickeyのいないABBで演奏するのは変な感じですか?

HAYNES: そうだね、そうだろうとは分かってたよ。Dickeyの音ってのは僕たちがずっと好きだったものの大きな部分を占めているんだ。だから、彼がいないのは明らかに不思議だよ。彼に嫌な思いをさせていると考えたら、こんなことはやらなかっただろうけど、既に僕はDickeyや他の奴らにも現状を話したんだ。で、誰の目にも明らかだったのは、この状況を解決することを(DickeyとABBとの関係を)今望んでいる奴は誰も
いないってことなんだ。だから、とりあえずは僕ができる最善を尽くす、ということなのさ。

GW:時間が過ぎるにつれ大した問題では無くなっていますが、以前のあなたのバンドでの役割では、あるところまではあなたがDuaneの分担でした。それは、Dickeyの隣にいてスライドをやれば自動的にそうなるのでしょうけど....  そんな期待無しに今回は演奏する訳ですから、かなり以前とは状況が異なりますよね。

HAYNES: そうだね、少し不思議な感じだよね。何故なら僕がバンドを辞めてから、Jack PearsonとDerekが僕が演っていたDuane時代のパートや再結成以後の僕が実際に弾いていたパートを受け継いだ訳だからね。どのように見ても、Derekも僕も同じパートを弾いていた訳だから、互いのどちらかが他のパート、つまりDickeyのパートを学ばなきゃならなかった。実を言うと、そのパートを二人で分けることにしたんだ。お互いスライドプレイヤーだから、一番良いのはスライドのパートの分けてしまうことだ、という結論に達して、更にはある晩は僕がスライドを弾いた曲を、また違う晩にはDerekがやったり、というところまで分けることにしたんだ。そんなやり方で沢山やっていみたけど、良かったよ。とても楽しいし、毎晩お互い違ったアプロー
チをすることが可能になったんだ。

GW:それが恐らく、全てがルースになって広がりのあるような感じをさせている
んでしょう。

HAYNES: そうだね。殆どの部分はいい感じだけど、時には「今夜はどっちを弾くんだっけ?」(笑)なんて考えなきゃいけない時もあった。曲がスタートして自動的に自分のパートを弾く前に、何を弾くのか考えなきゃいけないなんてことがあるんだ。難しいことではあるけど、これはいつも自分自身を新鮮な気持ちにさせてくれるんだ。そして僕たちはセットリストをいつも変化させようとしているから、それもそういう意味では良いことだね。

GW:あなたが最後にABBとやっていた時とのもう一つの大きな違いは、Greggの状態がずっと良くなっていることですね。

HAYNES: Greggは以前よりもずっとアグレッシブにオルガンを弾いているし、そんな彼と演奏するのはこの上ない喜びだね。この状況は本当にすばらしいよ。また、ステージでの音量がかなり小さくなっているから、彼のオルガンとボーカルをより良く聴くことができるし、更にそれらの音をクリアにしてくれるんだ。昔彼がしていたことの多くはどっかに行ってしまったね。

GW:この夏はP&Fともツアーしますね。これら全ての活動が、Muleの新譜の秋の発売の妨げにはならないですか?

HAYNES: いやいや、大丈夫だよ。それは一番優先していることだし、この秋に出すことを本当に望んでいるんだ。影響したといえば、夏にどの程度Muleとしてツアーに出れるか、ということだったけど、まぁそれは良い交換条件だったんじゃないかな。Muleのツアー日程と、ABBでロードに戻らなきゃ行けない時期の間の5月にレコーディングをすることになっていたからね。John Entwistle, John Paul Jones, Bootsy Collins, Billy Cox, Me'shell Ndegeocelloと、Stanley Clarkeとセッションを行ったよ。

GW:すごいリストですね。既にレコーディングが終わったのは?

HAYNES: Jack Bruce, Mike Gordon, Phil Lesh, Les Claypool, Jack Casady, Dave Schools, Oteil, Tony Levin, Rocco Prestia, Chris Wood, Alphonso Johnson and Chris Squireだね。ベーシスト以外のゲストでは、Derek, Gregg, John Scofield, Johnny Neel, David Grisman and Bernie Worrellといったところ。

GW:素晴らしい!異なるジャンルからそれだけの偉大なプレイヤーが集まって、あなた> と仕事をすることに同意したなんて、とても嬉しいことでしょうね。

HAYNES: 最高の気分だよ。彼らがイエスと言っただけでも信じられないのに、更に素晴らしいことに彼らの全てが信じがたい演奏をしたんだ。僕たちがやっている曲を彼が一旦把握すると、曲が自然に進み出すんだ。そんな状況に僕もMattもうっとりして、これが運命で、Woody抜きでどんな風に続ければ良いのか正しい選択をすることができたと感じたよ。最初は絶対むりだと思っていたけどね。

GW:アルバムをサポートするツアーは行うのでしょうか?

HAYNES: 間違いなくやるよ!幾つかのshowはアルバムからの何人かのゲストで素晴らしい顔ぶれのものになるように調整しているところだ。今迄すでに録音を済ませた面々は、一回もしくはそれ以上のshowをやることに同意してもらっているし、理想的にはどのギグにも3人から4人のゲストを呼んで、映像を撮り、マルチトラックにてレコーディングもするつもりだよ。

GW:幅広いミュージシャンが関与していますが、中にはCreamのJack BruceやJefferson
AirplaneのJack Cassady、YesのChris Squireなど、あなたが長い間好きだったバ
ンドのメンバーも含まれていますね。

HAYNES: 本当に驚きだよ。もともとのコンセプトはWoodyが好きだったプレイヤーを集めることだったけど、全て集まってくれた。その後、今度はもっとコンテンポラリーなプレイヤー、Les Claypoolのようにまた僕たちが尊敬するようなするようなベーシストも迎えることにしたんだ。僕の主な使命は、どの曲も忠実さを守るといことなんだ。よくあるオールスターメンバーでのレコードをここ最近色々聴いてきたけど、全然まとまってないし、それは恐らくたいていの場合曲そのものに注意が払われてなかったり、準備不足だったりするんだ。たいてい十分な時間がないから、多くのカバーやスタジオでちょろっと作ったような曲で済ませてしまおうとする。僕はとにかくそんなことは絶対防ぎたいと思ったんだ。これはWoodyが生きていたら、次のアルバムがこんな風になっていただろう、っというようにしたいんだ。曲を書く段階で色んなことが練りこまれているし、どのベースプレイヤーだったらどの曲がベストか、ということも良く考えられているんだ。何曲かはオリジナルの曲を、ゲストのベーシストと書いたものもある。本当にエキサイティングな時だね。なんとかしてネガティブなものをポジティブなものに変える事ができたんだ。そしてそれが、一番欲しかったことなんだ。

Allman Brothers prove rock prowess once again
Music Review/by Dean Johnson

Saturday, June 23, 2001
http://www2.bostonherald.com/entertainment/music/allm06232001.htm

ボストン近郊のMansfieldにて、6月21日に行われたライブは何と一曲目からWhipping Post!!! 地元のWebに
Reviewがありましたので、久々に載せましょう!

Allman Brothers Bandは昨晩のTweeter Centerでの尋常とは思えない160分のコンサートを、バンドの"Tour de Force"的な曲であるWhipping Postでキックオフした。それは、花火を打ち上げる船に手榴弾を投げ込むのと同じようなものであるし、そんなやり方でこのshowがほぼ満員の観衆に行われたことは間違いない。
この夜はベテランロッカーの力でとても印象的なものとなった。Southboundでのトロンボーン・ソロに始まり、Otis ReddingのI've been Loving youまで、全てが盛り込まれたすばらしいshowであった。

昨年のDerek TrucksとJimmy HerringのコンビによるABBは、(クビになった)創立者の一人、Dickey Bettsがいなくてもバンドは生き残ることができるということを証明した。今年のバージョンは、Derekに加えかつてのバンドメンバーであるWarren Haynesを加えたものだ。この差は明確だ。このバンドはまたしても、本物のギタ-
バンドに戻ったのだ。

HaynesはRockin' Horseのような曲では長くストレッチされたソロを弾いているが、この季節にTweeterに来るギタリストでかなう者はいないだろう。DerekとWarrenのように、二人の才能に満ちたスライドプレイヤーを据えたロックバンドは今までの歴史上無かったはずだ。

だが、Haynesは更にTrucksをより強力な、トラディショナルなギタリストにさせようとプッシュしている。Derekのもっとも弱い面を強化しようとしているのだ。Statesboro BluesやOne way out、Midnight Riderなどの伝統的な曲とともに、強力なHoochie Coochie manや、さらにはDesdemonaという新曲までバンドは演奏している。

Haynesはすばらしいプレイヤーだし、何曲かでボーカルもとったが、Gregg Allmanは更に素晴らしく、殆どの曲にキーボードを添え、Statesboro Bluesではファンキーなピアノも披露、そしてこの晩を今は亡きJohn Lee Hookerに捧げたのだ。一部のファンはBettsの流麗でメロディアスなギターワークを懐かしんだが、ABBのメンバーは過去の栄光にとらわれず、新しい音楽的方向性を探す方を好んだということをよく示してくれた。

 

 

 

 

Slidin' with Jack Pearson
あなたはJack Pearsonのことをご存知?彼は南部で活躍するセッションマンであり、ABBにも在籍していた優れたギタープレイヤーだ。
97年春、それまで再結成後のABBの屋台骨を担ったWarren&Woodyがバンドを脱退した後、99年夏にDerekが満を持してABBに
加入するまでの間、地味ながらも素晴らしい貢献をしたのはファンなら必ず抑えておかなければならない!加入当時、誰もがW&Wの
いないABBを想像することもできなかったが、飄々とした風貌でいとも簡単にファンの不安を吹き飛ばしてしまったのは記憶に新しい。
この人の想像を絶するユニークな音の組み立て、流麗でスムースなソロなどは音源をじっくり聴いて頂くとして、あまりに今まで少なかった
彼の人物像について、このインタビューで少しでも知って頂ければ幸いです!ちなみにJaimoeは、Duaneが生きていたら絶対にJackの
ようなプレイヤーになっていた筈だ、と断言していました。僕もその意見には120%賛成です!
では、ごゆっくり!
Ladies and Gentleman,  Here comes Jack Person!!

VG:
あなたと奥さんのエリザベスは音楽を通して知り合ったのですか?

JP:
ほとんどそうだね。彼女はギターを、特にJerry Reedなんかを弾くんだ。結局僕も、ギターを手にとって彼の曲に
合わせてエリザベスとjamするようになったんだ。彼女はチェット・アトキンスの教則ビデオの一つで生徒役を演じたことも
あったんだ。今は彼女はベースに入れ込んでいて(注:Jackのバンド「Nationals」のベースプレイヤーでもある)、すごい
Grooveを生み出してくれるんだよ。Bluesなんてお手のものだよ!彼女は死ぬまでシャッフルを続けちゃうぐらいだ。

VG:
あなたを知ったのはPat Bergesonを通じてですね。あなたがChet Atkins Appriciation Societyで、彼のバンド
で演奏していたときでした。

JP:
そう、奴は親切だし、素晴らしいプレーヤーだ。ほんとによく一緒に演奏したし、とても楽しんでいたね。Billy Montana
のCDでは一緒に仕事もしたよ。何年か前にはCAASで一緒にやったしね。僕がJohnny Neelと活動していた時には
彼が僕の代役をやったりもしたんだ。Johnnyは僕がNationalsでやっているのを聴いて、何か一緒にできないか、
と打診してきたんだ。で、"Comin' at you"と"Johnny Neel"の二つのアルバムに参加したんだ。

VG:
Nashvilleのあたりで未だにNationalsとして活動してますよね?今のメンバーは?

JP:
William Howseがharpとボーカル、Richard Carterがドラム、Abe Whiteがベースで、Andy McMahonがキーボードだよ。

VG:
結成のいきさつは?

JP:
僕とAbeは同じ高校に行ってたんだ。Williamのことはずっと昔から知ってて、Richardは80年に知り合った。彼は
ジョージア出身だ。皆バラバラのところで演っていたけど、徐々に集まり始めて今の編成になったのは2,3年前のことだよ。
Andyと僕はR&Bのバンドで一緒に働いていたことがあって、その後一緒に曲を作るようになった。彼は僕のCDでも
演奏しているね。彼から学ぶことは多いよ。

VG:
Williamは本物ですね!確か彼もあなたのアルバムで演ってましたよね?

JP:
その通り!知っての通り、奴は自分がいかに強力なミュージシャンかってことに気付いてないんだ。奴とは本当に
沢山の曲を一緒に書いたよ。大体の場合R&Bの曲に落ち着くけど、たま〜にカントリーのもの少しあるね(笑)。みんな
ストレートなブルースばかり書くと思うみたいだけど、実際はそうではないよ。いまではほんの少しだね。奴もギターを弾く
んだ。Albert KingやAlbert Collinsがやるみたいに、指弾きで弦を弾くんだ。そんな弾き方が僕は結構好きだね。

VG:
僕達の共通の友人であるJimmy Nalls(元Sea Level)は、時折あなたの代役としてNationalsで演奏してますね?

JP:
この間一緒に彼と演ったよ。たまに4人編成、時には5人、6人でもやるんだ(笑)。Sea Levellの1stアルバムでの
彼のプレイを、一音一音学んだもんだよ。

VG:
あなたのスライドに、私が話す人皆が驚きますよ。誰に大きな影響を受けたのですか?

JP:
アコースティック・スライドに関してはBlind Willie Johnsonだね。あとはもちろんDuaneとRy Cooder、Elmore Jamesだね。
昔ながらの先駆者達だよ。

VG:
ギターへの、特にスライドへのあなたのアプローチは、私が良く知らないところから出て来ているように思えます。比較する
訳ではないのですが、Pat Bergesonのものと近い感じがしますね。

JP:
それはきっと全ての影響が同じところから来ているからじゃないかな。僕の兄弟のStanleyの影響でギターを始めた
わけだけど、彼がChuck Berry、Lightnin' HopkinsやJimmy Reed、Muddy Watersといった人々の音楽を弾いていた
んだ。今もね。彼はペンキ塗り職人なので、プロとして演っていたことはないけどね。感謝祭の時には一緒にjamしたり
ね(笑)。Stanleyと義理の兄であるGerryはBluesを歌うのも上手だったから、おかげで僕もそんな音楽とつながりが
できたんだろうね。彼らは本当にfunkyなんだ。いつもずっとWLAC(Nashvilleのラジオ曲)を聴いていたよ。

VG:
スライドは何を使ってますか?

JP:
たいていDunlopの小さなガラス製の210というモデルだね。指にしっくりくるんだ。Mサイズって感じなのかな。薬指に
はめているよ。多くの人が深々とはめるけど、手首が固定されるような感じになるのであまりよくないね。僕は浮かせ
たままの感じにしておくのが好きなんだ。

VG:
左手の親指や人差指でミュートしているんですか?

JP:
場合によるね。多くの場合、右手でやっているよ。その方が欲しい音を鳴らしやすいからね。親指の横の部分
や、手の平の端の部分で抑えるんだ。口で言うのも難しいね(笑)。中指や薬指を弦の間に沈み込ませる感じかな。
自然にそうなるんだと思う。ギターをはじめて一年した頃、兄貴がスライドをやるべきだって言ったんだ。彼はやらなかった
けど、僕が出来るもんだって分かってたんだと思う。金属製のスライドで始めたんだけど、今もそれを持ってるよ。

VG:
それが擦り切れるまでやったんでしょう!?

JP:
そうだね!すべて試したよ。誰かが何かを使っているって本で読むと、それを手に入れてみる。コリシディンの瓶も
幾つか持っていた時期があってね、うろうろしては誰かにあげたりしてたんだよ。「あんな風にスライドを弾いてみたい」
って誰かが言っていると、「これを持って帰って練習するんだ」って言ってたよ。全ての種類のスライドを持ってたね。
本物の瓶の首の部分をもらったことがあるけど、使ってみるとなんだか不思議なな感じだったね。5つの中から
フィット感と音の良いものを選んだんだ。全て音は違ったね。その一つがとても好きで、もう一つ同じものをもらって
スペアとしてとってあるんだ。
(Translation of an interview from Vintage Guitar mag. Nov 1996)
続きはPart2で....
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Alan Hilbert and Me
Tale of a Southern man and Japanese guy , started in 1996
今回は僕とアメリカのファンとの交流のお話を少し....... ちょっと長いですが、是非お付き合いください!

Alanはジョージアはアトランタに在住の生粋の南部人。彼はもう確か40代半ばの、ブッチ・トラックス氏を少し思わせるような
風貌のいかにも!って感じなゴキゲンなサザン・マンだ。


彼と僕が知り合ったのは1996年の秋のこと。出会った、といっても直接会った訳ではなく、何かマジックを感じてしまう
ようなきっかけだった。その頃の僕は、まだ社会に出たばかり。最初に就職した仕事先の寮で、当時はまだ今ほど
普及していなかったインターネットを密かな楽しみとしていた。HPを見るにも、ダイヤルアップをするにも今みたいに簡単な
仕組みにはなっていなかったので、インターネットがうまく開通した日の晩は、ずっと起きてて、LynyrdやABBといった
南部バンドの情報を検索しまくったのを覚えている。これがあとになって、自分の人生を大きく変えていくことになる
とは全く気付かずに....!実際当時はサザンロックは全般に好きだったのは、どちらかといえばLynyrd Skynyrdの方に
気が向いていた時期で、自分のバンドでもFreebirdやSweethome Alabamaをやったりしていた訳で。

既にその当時もHittin' the webというABBのサイトはかなりの完成度で、毎日のように端から端まで情報を舐めるように
見ていた。そのときにGuest Bookを発見して、たったの3行であったが「僕は日本のファン。去年Maconに一人で旅
した時のことを、このページを見て思い出しました。」てなことを書き込むと、全く予期しなかったアメリカ本国からの
レスポンスがEmailで返ってきたのだ!全くInteractiveなんて概念の薄かった頃でもあり、ほんとにたまげた!と
言っていいぐらいびっくりしたのを覚えている。何人かのレスポンスのうち、feelingが合ったのがAlanでした。(それ以外
の方も面白い人が多く、映画の脚本家で、「将来Duaneの一生を映画化したい。その材料として日本にもDuaneを
崇拝している奴がいるってことで話を聞かせて欲しい」と連絡を取ってきた方もいました)

ABBの話もさることながら、彼とは年齢や人種、住んでいる世界、ましてや時差を超えて、基本的な考え方がとても
似ているんだな、と実感した僕は、Emailだけで顔が見えないのは残念だね、と話して、もっと自分のことも知って
欲しいという思いから、彼にその年の12月の初めにX'mas Cardとともに自分の写真を送った。彼はとても喜んでくれ、
以下の素晴らしい写真や、「南部を感じて欲しい」とSmokey Mountainで取ったという石と葉っぱを送ってくれた。
ここで掲載する写真は彼が送ってくれたものの本の一部だが、Duaneのお墓、Elizbeth Reedのお墓の写真はここで
Shareするのが適当かな、と思うので、彼の許可無く掲載してしまいます(彼なら許してくれるでしょう。サインも入って
いるし!)。

彼は学生時代写真を専攻してたということで、これらの写真も何だか売り物でないのがもったいないぐらいの出来で
ある。是非堪能して下さい!
duanetstone1.JPG (51301 バイト)duanetstone2.JPG (52240 バイト)Lizreed.JPG (102194 バイト)


何だかますます彼との付き合いにのめり込んでいった僕は、翌年18歳の頃から付き合った彼女と秋に結婚するが、
彼女を説得して新婚旅行のプランの一つとして、Alanに合うことをちゃっかり入れてしまった。彼女は今もそうだが、
ABBとか南部といったものに何の魅力も感じていない(少しはそうであることを願う!)類の人間だ。でも、彼との

一連の出会いから付き合いまでの不思議なストーリーには興味を持ってくれていたようで、反対はされなかった。
早速彼にemailで会いに行くよ!と教えたときの、彼の喜び様は今でも忘れない!新婚旅行はバハマに行ったので
その足でAtlanta行きの直行便に乗り、予約してあったPeachtree StreetのWestinのロビーで待ち合わせすることに
した。

「本当に会うことができるんだ!」という期待に胸を膨らませてロビーに行くと、一発でそれらしき人を発見!長い
銀髪を後ろで一本に束ねているが、背は僕より小さく、何だか可愛らしい!以前から知っている、彼の人柄そのまま
のWarmな雰囲気が漂っていて、二人とも本当に安心したのを覚えている。都合3日間しか滞在できなかったが、
彼の車でAtlantaの町を案内してもらい、Museumに行ったり、どでかいモールに買物に出掛けたり..... おまけに昼間
からHardrock Cafeに行って、ABBのコーナーの前に陣取ってBeerを飲んだり。仕上げには彼の二人の子供、そして
奥さんが夜から合流して、僕と彼女、Alanの家族という日米2世帯で、夜の郊外に繰り出してDinnerをともにした。
こうなるともうABB云々というものを超越した、強い絆を感じずにはいられず、すぐにAtlantaを去らねばならないことを
彼女も僕もとても寂しく思ったのだった。

日本に帰ってもずっと彼とは連絡をとっていたが、ある日またしても事件が.... 翌年98年の春にGreggが日本に来る
ことになって、「もうExciteしてて大変だよ〜!」なんて話をメールでしていると、「もっとExcitingなことがこれから起こる
から、4月になるまで指折り数えて楽しみに待ってて。」と意味深な返事が。後になって分かったのだが、彼は
Hittin' the webのWebmasterであるLanaさんと大の仲良しで、彼女に交渉して、僕がGreggと日本で会えるように、
段取りを組んでくれていたのだった.....(この時のことについては、HTNのGreggのコーナーに載っていますので、ここでは
書きません。なんだか単なる自慢になってしまう気がしてます) 

その年の11月に、娘が生まれた。Greggに僕と彼女が会ったとき、娘はすでに彼女のおなかの中にいた。
娘が大きくなってサザンロックに目覚めるなんて全く思ってもいないが、Alanと出会って彼から教えてもらったことや、
彼との付き合いの中で起きた色々な、不思議な出来事、彼女と一緒に目に焼き付けた美しい南部の光景を、娘の
名前に託すことができないかな、なんて話を彼女とした。で、名前を美南(みなみ)とつけることにした。Alanから
教えてもらった本当のサザン・ホスピタリティは、親として娘に何か教えられることが一つでもあるとすれば、これなんじゃ
ないかな、なんて二人して思ったりして。

彼とは97年以降、残念ながら会えていない。僕も仕事が変わったり、美南と過ごす時間が欲しかったりで、アメリカ
まで旅行する機会にも恵まれなくなった。彼も、僕達がアメリカに行った時は主夫で、奥さんが働いていたのだが、
色々と状況が変化して、カメラ屋さんで今は朝から晩まで働いているようで、あまり時間もないようだ。
彼の息子のIanは日本が大好きで、毎年のように来たいといっているらしい。
彼が家族と日本に上陸することになったら、是非皆さんも一緒に飲みに行きたいな、と思っています。

たまたま僕は英語でのコミュニケーションが可能(それでも別にNative Languageではないし、話すのはやっぱり苦手です)
だったので、あまり不自由はなかった。でも、臆することなく海外のファンとTradeしたり、積極的に交流することで、
ただ音楽を聴いたり交換する、なんていう次元を超えた、人生を大きく揺さぶるような人と人との出会いが待って
いる.... 

こんなことが起こってしまうABBだから、やめられないんだな。
皆さんのファンとの交流ネタも是非聞かせて下さい!

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Eric Clapton talks about Duane Allman
an Exclusive interview from Hittin' the Note(HTNに掲載されたインタビューを和訳しています)

HTN:初めてABBを聴いた時のことを覚えていますか?あなたはどんな反応をしたのでしょう?

EC:そうだね.... あれは確かCoconut Grove inでのこと、1970年だった。当時DEREK&DOMINOSを結成したところで、
マイアミのクライテリアスタジオでレコーディングを始めたところだったんだ。「Layla」アルバムだよ。最初の2,3週間の
ところだったんだけど、少し行き詰まっていてね。そんなある日、トム・ダウドが「ABBがライブをやるけど、見に行くかい?」と聞いてきた。その時俺はDuaneのことを、Wilson Pickettの「Hey Jude」で知っていた。アトランティック・レコー
ドの連中に「あのギター・プレイヤーは一体誰なんだい?」って聞いていたから、彼が何者か分かっていたしすぐにでも
会いたかったんだ。ある晩オフの日があって、Bobby WhitlockとJim Gordon、その他大勢連れてABBを見に行ったん
だ。野外のセッティングでね、信じられなかったよ。俺達はステージのまん前の芝生に案内されて座ったんだが、
間違いなくDuaneは俺を指差して.....


HTN:彼があなたを見つけて凍てついた、という話を聞いたことがあります。

EC:俺もそう聞いたよ。よく分からないけど、とにかく奇跡といっていいよね。天気も完璧だったんだ。薄暗くて湿っぽい、
そして強い風が吹いていた。彼らは皆腰まで届こうか、っていうような長い髪で、それが風になびいていてとても絵に
なっていた。音楽は信じられないものがあった。DuaneとDickeyはあのハーモニーを奏でていて、ソロでない時にも
全てが調和しているような感じだったんだ。素晴らしく決まっていて、力強かった。

HTN:ローリング・ストーン誌のフィルモアのレビューでは、彼らは「過去5年にアメリカが生み出した最高のバンド」と
評されていました。

EC:そうだね。

HTN:あなたはその当時既に人生を歩んでいましたが、私はまだ生まれていなかったんです。その表現については
誇張だと思いますか?

EC:全然!彼らは表現するということにもの凄く力を注いでいたし、また彼らはラジオの力にも頼っていなかった、という
印象を俺も持っていた。彼らはよく練りこまれた素晴らしい音楽を作ることに静かに成功していったんだ、そんなに
チャンスに恵まれていなかったのに。もちろん当時からGreggは、若いソウル・シンガーとして活躍していたと思うけど。
彼はとてもシャイで、エゴに振り回されるようなタイプではなかったね。凄まじい潜在能力を秘めた、Steve Winwoodの
ような声を持ってね。

HTN:初めてGreggの声を聴いた人が、やはりSteveを思い起こさせる、と言ってました。

EC:そうだね。俺も色々な点で彼らは似ているな、と思っていたんだ。彼が弟だったということを除けば、二人は性格的
にもよく似ていると思うよ。

HTN:彼らがどの程度、ロックが進むべき道を変えたと思いますか?そして彼らはあなたの音楽に影響をもたらしましたか?

EC:そうだね、当時は影響されたよ。そして彼らは、ライブ・バンドの全ての概念に影響を及ぼしたと思うよ。要するに、
今Aerosmithがやっていることを聴いても、それはツアー中心という概念自体ABBから影響を受けたものだということが
判るよ。彼らはバンドは常にライブをしていてもOKなんだ、という概念を作ったんだ。彼らのやっていることは、思うに
スタジオよりもライブ活動に重きをおいているんだよね。

HTN:この間ABBをはじめて聴いた人の印象を聞いたら、Creamが残したものに近い感じだ、ということを言ってました。

EC:その通りだね。

HTN:そんなことを考えたことがありましたか?

EC:うん、Creamがやっていたことの拡張だとは思ったね。つまり、例えば俺とCreamの問題は、ステージの上でできる
ことが限られていたということなんだ。スタジオに入れば、オーバーダブで素晴らしいレコードを作ることも出来た。俺が
リズムを弾いて、その後ハーモニー・パートを重ねて、というようにやれば3人のギタリストがいるような感じさえする。
オールマンがそれをライブでやっているのを見たら......

HTN:そしてその多くはインプロバイズされていますよね。

EC:そうだね。

HTN:Duaneはあなたのスライドにどのぐらいの影響を及ぼしたのでしょうか?

EC:少しだね。多くはないよ。何故なら、俺は単に吸収することができなかったからね。彼はスタンダード・チューニング
でも弾いていたからね。

HTN:そうですね。私も無理ですね....

EC:理解できなかったんだよ。なんて説明したらいいのか... いつもduaneはあの7thの音を出しててね、でも僕はそれ
を認めていなかったんだ、実際。いつもそんな議論を繰り返してたんだ。何故なら、僕は今までの伝統に習って演奏
するべきだと思っていたからね。だけどそんな考えは、彼がインプロバイザーだという事実がもの凄く好きだったから、

吹っ飛んでしまったよ。多くの時、彼は伝統なんてものをとっぱらってくれたけど、当時は僕にとってそれは、適当だと
は思えなかったんだよね(笑)。知っての通り、彼は素晴らしく才能に溢れていたよ。
HTN:あなたは彼を、バンドを引っ張るエンジンと考えていたのですか?それとも、純粋に魔法のようなコンビネーション
だったのでしょうか?

EC:う〜ん。難しい質問だね。変な風にとられたくないんだ。全てのことをさしおいて、彼のキャラクターなんだと思う。
duaneは本当に強力で、人を引っ張る力をもったアグレッシブな男だった。やせっぽちという言葉がぴったりで、「タフ
ガイ」という言葉が似合わなかったけれど、彼は本当に強い奴だったし、彼は確かにバンドを引っ張っていたと思う。

HTN:ABBの音楽は、彼が亡くなった後どのように変わったと考えてますか?

EC:そうだねぇ、彼らは方向性を失ったと思うね。知っての通り、彼は音楽性も持ち得ていたんだ。彼は、ブルースや
サザン・ミュージックというジャンルを直接知っていたからね。彼は、僕が思うに、弟と共にバンドが進むべき道に
ついて責任を持っていたよね。

HTN:私は、Dickey Bettsについて、Duaneと同じバンドでなかったらもっと彼の実力に見合った名声を手に入れた
筈だ、という意見に賛成なのですが...

EC:そうだね。そうだ。

HTN:「LAYLA」アルバムの世界的成功を考えると、ABBはイギリスでは思ったほど成功していませんよね。私も
「LAYLA」から彼らを知って、もっとDuaneを聴きたくなったんですよ。

EC:(笑)..... そうだねぇ... 僕が彼をバンドに引き抜こうとしていたことは知ってるかい?彼はDerek&Dominosと
ツアーしてたんだよ。

HTN:今まさにその質問をしようとしてんたんですよ!彼は何日か一緒にコンサートをしたんですか?

EC:そうだよ。本当に沢山ね。で、僕は実際、彼を引き抜こうとした。つまり、彼を盗んでしまおうとした訳だ。彼は
本当に早い決断をしなければならなかった。ある晩のギグのあとにね。僕は「わかるだろう?本当に君をバンドに入れたいんだ。4人組でやるのはもううんざりだよ。入ってくれるかい?」と彼に尋ねた。彼は、「できるとは思わないな。」と
答えたよ。その時点で、彼はまっすぐABBに戻っていったのさ。

HTN:簡単に決められることではなかったでしょうね。

EC:う〜ん、僕には分からないさ。もう少し時間があったらね.....

HTN:ABBの「Idlewild South」と「Layla」は同じ時期に作られましたよね?

EC:そうだね。

HTN:そして、プロデュースした人も同じ、Tom Dowdですよね。

EC:その通りだ。間違いないよ。

HTN:彼はMaconとMiamiを飛行機で行ったり来たりしなければならなかったんでしょうね。

EC:そうだね。僕たちが二人でやることにはものすごい喜びがあったんだよ。何故なら、僕たちは全く違う場所から来た
訳だからね。当時僕は、シカゴ・ブルースに入れ込んでいたが、彼は、南部の、ジョージアのカントリー・ブルースに
熱中していた。だけど、彼がバンドに入らなかった理由の一つは、イギリスは今まで、そして今もそういった音楽の
伝統に根ざしたことはなかったからかもしれないね。

HTN:でも、人々はそういう音楽を聴くのではないか、と思ったんですよね... あなたはここでは超有名ですし、Laylaは
多くの人々に聴かれた。そして....

EC:そうだね。

HTN:人々は、「いったいこの男は誰なんだ?」と思い、「もっと彼の音楽を聴いたほうがいいんじゃいないか?」と
思った...

EC:うん.... 正直に言うと、そんな風に思ったのは、ここではごく僅かだったんだよ。モダンといわれるバンドを見てみる
と、Beatlesや、Kinksのあたりに戻ってそこでお終いなんだ。彼らは、「Beatlesは何を聴いていたんだろう?」なんて
風には考えないんだよ。

HTN:例えば、殆どブルースの歴史を綴ったといえるあなたの1993年のShowなどによって、そのような多くの人々が
気付かされたのではにか、と思うのですが....

EC:うん。でも、人々は自分達の為にそういうことができなければならない、と思うけどね。ここではそんなことは大した
ことではないんだ、ということを知って、いつもがっくりするんだけどね。

HTN:あなたも分かるように、僕はいつも、そのような音楽はどこから来たんだろう、ということが知りたいんです。

EC:それなら君はごく一部の珍しいタイプだね!(笑)

HTN:「Layla」アルバムについて少し話して頂けないでしょうか?

EC:全然構わないよ。

HTN:Duaneと一緒に演奏することはどんな感じでしたか?彼を影響し、彼からまた影響されるということは?

EC:素晴らしいの一言だよ!ある晩のコンサートから全てが始まったんだ。彼らが全員で、Showの後にスタジオまで
戻ってきてくれたんだ。

HTN:ボックスセットに記されているのは、その晩のことなのですか?

EC:その通りだよ。

HTN:あのJamですよね....

EC:うん。あそこですぐに始めたんだ。彼らと接触するまで、僕たちはスタジオで本当に煮詰まっていたんだ。2、3週間
スタジオに居たが、何もできてなかったんだ。ただ単に僕がギターとともに集中していただけだったんだ。4人組で、曲を
書いたりしていたんだけど、実際に演奏をはじめてみると全然エキサイティングではなかったんだ。その後、彼らが
やってきて、特にDuaneと僕の二人きりのときは、ただただやることを考え、過去の曲をやることを考え続けて、結局
二人でやることが可能になったんだ。「Nobody knows you...」「ハイウェイへの関門」「why does love....」といった曲から
始めたんだけど、これらの曲は僕達が単にjamする為のものだったんだ。終いには互いにjamを続けることで、アルバム
に必要な沢山の曲が出来ていったという訳なんだ。

HTN:Gregg Allmanは、殆どのセッションを見ていたと言っていました。その状況を覚えていますか?

EC:彼はそこによく居たよ。そうだね。

HTN:彼を呼んで歌ったり演奏させようという気にはならなかったんですか?

EC:そうだね... そんなには興味がなかったんだよ。悪く思わないで欲しいけど、僕はとにかくDuaneに惹かれていて、
殆ど恋に落ちていたと言っていい。分かると思うけど、自分のバンドさえ殆ど無視していたんだ。衆人環視の中で、彼と
音楽の情事に耽っていたんだよ。Greggはそんな状況を見ることを楽しんでいたかもしれないけど、僕はそれすら
気付いていなかったんだ。

HTN:人として、Duaneはどんな感じだったのでしょうか?

EC:Duaneは...(笑) 彼はいつもそこに居て、前にも言ったように、彼はやせっぽちの割にはとても強く、カリスマ的な
仮面をかぶっていたんだ。沢山酒も飲んでいたし、きついドラッグに二人とも入れ込んでいた時だった。今振り返るの
は悲しいけど、Duaneは本当にタフな奴だったよ。

HTN:しかしながら、ABBのアルバムは、それ無しではあり得なかったでしょう。

EC:うん、いい時期だったんだと思うよ。そうだったかもしれないね。でもそのすぐ後に、ドラッグはほとんど僕達の限界
を超えるようになっていった。つまり、Dominosはそのために駄目になってしまったんだ。機能しなくなってしまたから
ね。でも、「Layla」の時は、うまくコントロールが出来ていたんだ。Duaneが死んでしまったのはドラッグのせいでもある
んだと思う。その当時みんなが一斉にドラッグにのめり込むようになって、その影響たるは凄まじいものがあったんだ
と思う。

HTN:Duaneとそのアルバムのことを考えると、あなたは誇りに思うに違いない...

EC:その通りだよ。とても誇りに思っているよ。

HTN:当時はあなたにとってあまり良い時期ではなかった、ということを本で読んだことがありますが....

EC:僕にとって?個人的に、ということ?

HTN:そうです。

EC:いや、違うな。僕の人生には、沢山の複雑なことがあった。誰かの妻と恋に落ちてしまったり、こんなことの全てだ
よね。そんなことを僕は曲にしている訳だけど.... だけど、その一方で計り知れない絆が生まれたりしたんだよ。つまり
Dominosについては、ほとんど一年半をツアーの前に一緒に生活して、他のミュージシャンとは無かったパートナー
シップを経験することができたんだ。また、Duaneと出会ったことも同じようなレベルの出来事といえる。だから、実際
にはとても、本当に幸せな時期だった、と言えるんだよ。

HTN:ABBのメンバーが、あなたの二つの成功したアルバムの重要な要素になったということを思うことはありますか?
あなたはDuaneと「layla」アルバムで、Chuck Leavellと「Unplugged」アルバムで共演していますよね。

EC:そうだね。

HTN:それは偶然の一致なのですか?それとも当時あなたは「オールマンの味」というものを意識的に加えようとして
いたのでしょうか?

EC:そうかもしれないね。うん、無意識のうちにそうしようとしていたかもしれない。ChuckがABBにいたことも知っていた
し..... 彼がそんな要素をもたらしてくれることは分かっていたし、直接的ではなくてもね。だけど....

HTN:そうですね。Greggの「Laid Back」アルバムとあなたの「Unplugged」を繰り返しこの間聞いていたので....

EC:そうだったんだ。

HTN:そして二つには似たようなピアノの雰囲気がありますね。

EC:そうだね。

HTN:確かに、その二つは同じ人が弾いていますよね。

EC:その通りだね。

HTN:「Laid Back」アルバムを聴いたことがありますか?

EC:どうだったかな?

HTN:あなたがGreggのソロ作を聴いたことがあるのかなぁ、と思ったのですが....

EC:彼のアルバムは持っていないと思うね。

HTN:DuaneとBerryの死後、ソロとしてのGreggにはとても興味深いものを感じます。音楽的にABBそのものよりも....

EC:そう。じゃあ、そのアルバムを買いにいくべきかい?

HTN:そのとおりです!1973年発売の「Laid Back」ですよ!

EC:わかったよ!

HTN:オリジナル編成のABBのアルバムで、あなたが特に好きなものはありますか?

EC:全部好きだよ。本当に。

HTN:わかりました。今日は本当にありがとうございました、エリック。

EC:とんでもない。Good Luck!!


以上で終了です!素晴らしいインタビューだったでしょ!!
感想はこちら

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an Interview  with Dickey Betts
(このインタビューはHittin the note最新号に掲載されたものを和訳しています。)
HTN:
調子はどう?

DB:
いい感じだよ。今週オーディションを行ったんだ。

HTN:
かなりエキサイトしてる?

DB:
そうだね。とても良いバンドになりそうだよ。こんなに色んな奴を聴いたのはこれが初めてだよ。履歴書に目を通し
たり、沢山のテープを聞いたりして、ここまで飛んできて誰をオーディションすべきか決めたんだ。彼らの殆どは、実際には
オーディションなんてする必要はなかったんだ。ただ単に、彼らがテープと同じ演奏ができるか確かめたかっただけでね。
ただ、ドラムとキーボードについては決断を迫られてね。それぞれ二人ずつ、その中から選ばなきゃならなかったんだ。
大変な決断だったんだ。結局誰に決めたか、話してもいいかい?

HTN:
もちろん。ギターを弾くのはMark Mayでしょう、何年か前にABBの前座を務めた.....

DB:
そうだよ。幾つかのshowでやってもらたよね。

HTN:
彼と知り合ったきっかけは?

DB:
おかしなきっかけでね。友達の一人が彼のCDを持ってきて、聴くべきだよ、と言うんだ。一ヶ月ぐらいは、俺の
ピックアップトラックの中に置きっぱなしにしててね。沢山のCDをもらったりするからさ。でも最後には聴くことにした
んだけど、車を止めたよね。ライナーノーツを読み始めて、それから全部に目を通した。何故なら、彼の演奏があまりに
印象的だったからだ。彼はIce House Recordsで録音して、2枚のアルバムを出した。最初のがCallin' the bluesという
タイトルで、2枚目がTelephone Roadだ。二つとも素晴らしいアルバムだよ。彼は曲を作り歌も歌うし、スライドギターも
弾くけど、今回のツアーではあまりスライドを弾いたりはしていないね。俺が少しスライドを弾くかもしれないけどね。
で、ベーシストは、David Stoltzだ。彼に最初に会ったのはABBのオーディションの時だ。彼を加入させることも考えた
んだけど、もちろん最後はOteilを選んだんだ。

HTN:
彼はjaimoeと知り合いの....

DB:
そう。jaimoeが幾つかテープをかけてて、ベースを弾いてる奴が気になったんだ。「誰がこのベースを弾いてるん
だい?」と聞いたんだ。その時Allenの代わりを探していたからね。Jaimoeは「うん、David Stoltzという奴なんだ。」
と教えてくれた。「彼に会いたいね。オーディションに出てくるように聞いてみない?」ということで彼に初めて会ったん
だよ。

HTN:
彼もコネチカット州の出身?

DB:
そうだ。彼はHartfordの出身だよ。彼は多くのジャズ・ミュージシャンと活動しててね。Eddie HendersonやHouston Personとか、Byrdsのメンバーともやってた筈だ。彼は、Bruce Springsteenのサックス奏者のClarence Clemonsとも活動してたよ。彼は自分のソロ・ジャズアルバムも発売してるんだ。ベースのアルバムと言っていいと思うけど。俺は彼のことを知っていたけど、彼は履歴書と一緒にそのアルバムも送って来たんだ。
素晴らしいサックス・プレイヤーも見つけたんだよ。名前はChris Jensen、ニューヨークの出身で、サックスのほかに
フルートも吹ける。彼はHartt School of Musicで学んだ後、そこで教えたりもしているんだ。彼はEddie Hendesonや、
Roy Hanes、Leon ParkerやJiovanni Hildalgoらの多くのジャズ・ミュージシャンと活動していたんだ。彼は素晴らしい
プレイヤーだよ。

HTN:
彼が色んな管楽器を演奏できることは、ダイナミクスという点でも大きな貢献になるね。

DB:
その通りだ。彼はバックアップ・ボーカルもできるから、そこでも彼の力を借りることができる。彼を通してドラムの
Mark Greenbergと知り合った。彼はRonnie Earl and the Broadcastersと長い間活動していて、最近はRoomful of
Bluesで演奏していたんだ。奴はバークリー音楽院の出身で、素晴らしい才能の持ち主だけど、ほんとにいい奴だ。
沢山のドラマーのテープを聞いたけど、結局彼に落ち着いたんだ。
Matt Zeinerがキーボードを弾いてるんだ。彼は面白い奴だ。彼もHartfordの出身で、あそこには大きな輪があるみたい
だね。彼らはHartfordに住んでいて、NYやBostonで活動している。彼らはその大きな輪の中で、一度に3つも4つも
バンドを掛け持ちしているんだ。Mattの親父さんはとても面白い奴だよ。Ray Zeinerっていうんだけど、彼もあの辺りの
出身で、B-3を弾いたり歌ったりするんだ。彼は40年代から50年代にかけてWildweedsというバンドで演奏していたが、
このバンドが後にNRBQとなったんだ。RayはAl Hendersonなんかと一緒にそこでやってて、No Good to cryという
ヒットを飛ばしたんだ。Mattは彼自身、凄まじいブルース・シンガーでもある。キーボードが弾けるかどうか確かめた
かっただけで、バンドを率いることのできるような奴だったとはね.... 歌もキーボードも本当に素晴らしいよ。彼はピアノ
もB-3も弾くので、ちょっと大変だけどツアーにはB-3を持っていくつもりだ。
Junior Ortizという素晴らしいパーカッショニストもバンドに加入してくれた。彼はマイアミの出身だけど、今はHartford
のあたりに住んでいる。奴は、コンガ奏者だったら誰もが好きなJiovanni Hildalgoから学んだんだ。彼はTito Puenteや
Domingo Quinonesとも活動していた。彼もまた他のバンドメンバーと同様、素晴らしい才能を持っている。
殆どのプレイヤーを一度に聴いたけど、彼とMark Mayだけはリハーサルにいなかったんだ。とにかく聴く必要もなかった
訳で、彼らが確かなことはわかっていたからね。実際に彼らの音を聞いてぶっ飛んだよ。本当にすごいバンドだ。
彼らがどんなに良いプレイヤーか、皆ライブを見て驚くはずだ。ご存知の通り、歌える奴を探し続けたから、俺だけが
バンドを引っ張り、重荷を背負う必要はないんだ。最後に自分のバンドを結成したのは80年代の終わりごろのことで、
その後の11年間のABBでのソリッドで、素晴らしい活動の恩恵を、自分のソロで受けたことはなかった。この間の活動
で、俺の名前は再び有名になっていたから、メンバーを探すことにおいては、自分で汚いジュークジョイントに出向く
代わりに、人々の目を集めることができたんだよ(笑)。ポジティブなことがあるというのは良いことだよね。前を向かせ
てくれることがあるっていうのは....
ツアーに関しては、8月10日にリハーサルを開始して、8月23日のSt.Petersburgからスタートしたんだ。Orland, New
Orleans, Atlanta, Myrtle Beach, Ohio, New Yorkをまわって、最後にConnecticutで締めるんだ(注:既にツアーは
終了)。ファンが望む曲をやろうと思ってるよ。何年も知っているような曲をね。

HTN:
そうだね。この信じられないメンバーを集めたわけだから、本当に良く色んな曲を混ぜることができるだろうね。

DB:
本当だね。しかも彼らの殆どが曲を書けるんだ。Mattは10〜12曲ぐらい自分の曲を持っているから、彼にその
中から歌ってもらおうと思っている。Markは彼のカタログ全部から曲を選ぶことができるし。今回はGreggと関係が深い
曲、例えばStormy MondayやStatesboro Bluesみたいな曲はやらないけど、俺が作った曲でGreggが歌っていた曲、
No one to run withとかについては演奏する予定だよ。他にはインスト曲やSeven Turns、Blue Skyなんかもやる
つもりだ。

HTN:
何年もの間にどんどん素晴らしい曲が増えているよね。

DB:
沢山あるけど、今回のツアーで演奏するのはファンが聴き慣れている曲だよ。来年のツアーからはもっと色んな
曲をやるつもりだけど。何曲か新しい曲も書くつもりだよ。新しいプレイヤーと一緒に作る曲も含めてね。

HTN:
Highway Callからの曲や、Great Southern時代の曲はやらないの?

DB:
それも考えたけど、今回はファンが聴き慣れているものからそんなに離れないようにしようと思う。その意味では

ある程度統一されるけど、来年からはもっと古い曲にも手を出そうと思ってるよ。覚えておいてほしいんだけど、そんな
にあれこれやる時間はなかったということなんだ。リハーサルの時間も限られていたし、こんなに早くバンドを組んで、
ツアーもブッキングされるとはね!(笑)

HTN:
Junior Ortizは確かにラテンフレイバーをあなたの音楽に与えているけど、Pegasusもラテン風の曲だよね。この
曲を演奏する可能性は?

DB:
その曲は確かにラテンのグルーブを持った曲だけど、俺の曲の多くはラテン風の味付けがされているんだ。俺が
思うにElizabeth Reedは最もラテン的な曲だよ。知っての通りギターはああいう感じのパーカッションによく合うし、俺は
常にカルロス・サンタナが大好きだしね。俺は彼のパーカッションの使い方が好きだよ。あれはバンドメンバー全てを
興奮させるよね。Marc QuinonesがABBでやっているようにね。彼は素晴らしいよ!

HTN:
来年のツアーで昔の曲をやってくれるというのは素晴らしいね。Pattern DisruptiveのRock BottomやDuane's 
Tuneなんかもみんなが聴きたがっていると思うけど。

DB:
そのあたりの曲も沢山やりたいけど、まず第一にオーディエンスが何を聞きたがっているかなんだ。一つ考えて
いるのは、Everybody's got a mountain to climb(注:Where it all begins収録)をやろうということだ。何故なら、この曲
は素晴らしい曲なのに、あんまり認知されていなから。俺がやりたいと思うことを全てやる時間はないと思う。今は、
バンドもよく知っている曲で、よくまとまった演奏を聴かせたい、ということなんだ。Elizabeth ReedやJessicaなんかは
そんなに時間がかからないよね。バンドの奴らも前に聞いたことがあるはずだから。最近やっていない曲も全部やろう
としたら、Showを強力なものにすることは難しいかもしれない。

HTN:
30日間ほぼ通しでツアーするのは久し振りだよね。どんな気持ちかい?

DB:
その多くの理由ってのは、外に出て、ファンに俺はよくやってるぜ、いい演奏ができるぜ、ということを見せること
にある。プレスが書いている、俺の最悪な状況というものを打ち破らなければならないんだ。俺がどんな状態なのか、
はたまた死んでるのか生きてるのか、なんてことをね!(笑)

HTN:
では、2001年のプランは?

DB:
3月にツアーに戻る予定だけど、バンドの奴らはそれぞれのバンドを持っているから、スケジュールの調整が必要
だね。冬の間にはレコーディングするかもしれないし、2月にはリハーサルするだろうね。色々と異なる曲を発表していく
と思うよ。次の春までにはアルバムを出せるんじゃないかな。

HTN:
このツアーで、ABBより小さな会場でやることについては何かチャレンジすることを感じている?

DB:
全然ないね。前にもやっているし、どこで演奏するか、ということにはとても注意深くなってるんだ。大きすぎる会場
でブッキングされたくないんだよ。大きな会場で半分しか埋まらないなら、House of Bluesのような会場で満員の方が
よっぽどいいよね。とにかく注意深く、強力なセットをこなして、自分達の能力以上のことには足を突っ込まないことに
しているんだよ。大きな会場に行っちまうと、おかしなことが起こり始めるんだ。音楽のより優れたタッチを失ってしまう
こともあるし、大金が人を駄目にしちまうことだってあるんだ。だから、こういう身近な場所でできることは、良いことが
多いんだ。もちろん、残された人生でずっと、何千もの客席があるところでやりたくない、という訳ではないよ。Beacon
やFox Theatreのようなところであれば完璧だね。来年はそういうところでできることように練っているところなんだ。

HTN:
Warren Haynesはあなたのことに触れ、Django Reinhardt on acid(尖がったジャンゴ・ラインハルトの意?)、
a real cosmic cowboyと称していたよ。

DB:
本当に?すごいお世辞だね!!

HTN:
その言葉は本当に、二人のディッキーについてよく表しているね。カウボーイと真剣な作曲家。あなたのインスト
曲は現代の名曲と言えるけど、Ramblin ManやLong time goneのようなカントリー・ポップも作曲できる。この二つの
音楽性はどこに起因していると思う?

DB:
自分自身そのことについてはよく考えるけど、静かにして曲を書いていると、メロディーが頭に浮かぶんだ。それら
は俺の音楽的なバックグラウンドには一切関係ないもので、思うに色んな曲を聴いたり吸収したりすることで生まれて
来ているものなんだ。Elizabeth Reedのような曲が生まれると、「これは俺が思ったものとは違う」とは考えずに、出て
きたものを追求するんだ。オープンにして、何が起こるか試すんだ。

HTN:
曲ともがき、格闘するんではなくあなたの中で自由に泳がせる、ということ?

DB:
その通りだね。それが耳にうかんでいるとしたら、ギターの上で表現できるようにチャレンジするんだ。面白い
パラドックスだと思う。俺がもっとカントリーブルースを書くと思ったら、全然違うものを書いたりね。頭の中では本当に
色んな種類の音楽が鳴っているんだ。妻のDonnaは笑うんだ、俺が車の中でラジオをつけるのを嫌がるから。頭の
中には小さなレコード・プレイヤーがあって、それに耳を傾けることが好きなんだ。多くの作曲家はそんなものが頭の
中にあるんだと思うし、ラジオをつけると、聴きたくないものまで耳に入ってくる。俺が書いた多くの曲は、こんな奴から
出てきたという風には見えない、というのは面白いことだよね。でも、そんな感じで曲を作る奴を沢山見てきたよ。
俺はバークリーで音楽を習ったわけじゃないけど、間違いないね!(笑)
人前で音楽を演奏するようになると、プレスが好む分類に入れられてしまうことになる。俺はこんなホンキートンク・
ヒーロー的なキャラクターとレッテルを貼られているけど、俺の音楽にはもっともっと違う側面が沢山あるんだ。皆が
俺の曲を聞いて、学んで、楽しめば、典型的な場末の飲んだくれのキャラクターには行き着かないはずなんだ。
俺にはもっと色んな側面があるし、だから「奴はどっからこんな曲を作ってくるんだ?」というややこしいことにぶつかる
んだよ。Warrenがそんな風にいったなんて、可愛らしいね(笑)。


HTN:
40年間演奏してきて、音楽から得た素晴らしいものって何なのかな?

DB:
ステージに立つこと、これが喜びの全てだよ。ロードの生活や、待っている時間、旅をすること、これらの全てに
対処しなきゃならないんだ。家から離れてロードの生活をするってことは、たやすいことじゃない。特に年を取るとね。
20歳の時にやってたように、次から次に駆け込んでいくなんてできないしね。このバンドを組みたいと悩んだたった
一つの理由は、ステージに戻りたい、ということだったんだ。まだやり終えたとは思えなかったんだ。もっと演奏すべき
音楽があるし、そこで待っている人々が恋しかったんだ。俺を呼んでくれる人が沢山いることは知っていたし、そこに
行って「まだやってるぜ」ということを言いたかったんだ。俺は自分が56歳だとは思ってない。35歳ぐらいのつもりで
いるし、そんなエネルギーをもっているなんて良いことだと思う。気持ちはまだ全然老いてないし、未だに新鮮な気持ち
だよ。最善を尽くして、楽しみたいと思ってるよ。

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an Interview from Bostonherald.com
Dickey Betts....

「冷酷な裏切りだよ。」56歳のギタリスト、Dickey Bettsはそう語っている。「特に、ファンにとっては寂しい限りの状況だね。誰かがこのバンドを駄目にしちまったのさ。」

bettsは彼の名のもとに新しいバンドを結成した。このバンドは、金曜日にAvalonにて、そのBostonでのデビューを果たす。「何か物事が悪い方向に行ってしまったら、新しい方向で何かを始めるんだ。」「どうやって生き残るかを学ぶんだよ。」彼は語る。

オールマンブラザーズバンド(以下ABB)は、71年にシンガーでありキーボーディストであるGreggの兄であるギタリストのDuaneがバイク事故で他界してから、ファミリーバンドであることを止めた。このジョージアのバンドは、2本のギターの凄さで名声をものしたが、Duaneの死後はDickeyがその重荷を背負うことになった。

そして彼はそれをこなした。彼はまた、シンガーとして更なるステップを踏み、もっと良く知られることにはソングライターとして活躍した。Greggがドラッグ、酒、そしてCherとの問題と奮闘している間に、DickeyはABBファミリーの影のリーダーとなっていた。

それからは、ABBは長い間浮き沈みを続けることになる。76年にGreggがロードマネージャーのドラッグ裁判で不利な証言をしたことにより、他のメンバーは彼とは二度と一緒に仕事をしないことを宣言した。2年が経つと、彼は戻ってきた。

80年代は概ね活動していなかったが、彼らは再結成し、期待を裏返して90年代にはヘッドライナーとしてツアーを行い好評を得ている。グループはロックの殿堂にも選ばれ、95年にはBetts作の「エリザベスリードの追憶」がグラミー賞を
獲得している。

しかし、トラブルがABBを捕まえられなければ、彼らは必然的に、自らトラブルを作り出す。Bettsは、生き残った三人のバンド仲間、Gregg、Butch、そしてJaimoeが、多数決でバンドから出てもらうことを決めた、と話してきた時には愕然としたと言う。インタビュー等で行ってきたことを説明しながら、Greggは、Dickeyのプレイとバンドの演奏を傷つけているドラッグと酒の問題を解決する為には劇的なステップを踏む必要があった、と主張している。

「Greggは、国中を走り回って、自分はドラッグに頼り過ぎたし酒を飲み過ぎて演奏できなくなった、と主張することで今回の一連のことについて正当化することに決めたんだ。」警告を込めて、しらふに見えるbettsは語った。「本当にくだらないね。あからさまな嘘だし、全てのことがクソみたいな詐欺だよ。頭の上に手を投げて、奴等が気付くまで言ってやる
よ。」

時には酒を飲んでいることを認めているBettsだが、ドラッグや酒の問題はないと彼は語っている。彼はまた、仲間達が何故彼に反旗を翻したのか理解できないと言う。

「彼らが本当にどうしちゃったのか、俺にはさっぱりわからないね。何が根底にあったのか、理解できない。」

本当に何も手がかりはなかったのか?

「最後のツアーでは、Butchは俺に一言も話し掛けてこなかった。ある晩俺はホテルの部屋に戻って妻に言ったよ。あいつは何かおかしくなっちゃってるよ、ってね。でもそれが何なのか俺には分からなかった。他のメンバーとも何の議論もなかった。俺達は音楽の話をして、音楽を演奏した。全てがスムーズに行ってたんだよ。」

では彼はこの事態をどのように説明するのか?

「単なる冷酷な心に操られた悪意だよ。」Bettsは答えた。「誰か他の奴から答えを探すべきだね。俺は何も知らないから。俺はGreggに二回ほど電話したけど、俺に答える義務はないよって切られてしまったんだ。本当に卑劣な行為だね。もしGreggとButchが俺を追い出したのなら、彼らなら俺がビジネス上納得できないやり方でやれるんだろうから。だけ
ど、俺はじっとして、推測しているしかなかったんだ。何も知らなかったんだからね。」

Bettsは過去のプライベートでの問題を否定しようとはしない。93年には妻への暴力で逮捕された後、アルコール中毒のカウンセリングを受ける為バンドを離れている。今回の解雇のすぐ後に、歴史は繰り返されたかのように見えた。家庭内
で騒ぎを起こしたBettsは警察の手でサラソタにある仲裁センターに連れて行かれたのだ。

「そうだ。このfaxを受け取ってから一月の間はしんどい時期だったよ。」Bettsはこう認める。「その件は俺の根底にあるものを揺るがしたんだよ。鬱病の為に病院に行き、診察もしてもらったんだ。一晩病院に泊まって、医者の許可が出たん
で戻ったけどね。」

「そして、俺はこのユニークなサウンドを持つ7人編成のバンドを結成したんだ。ABBのオープニングアクトを務めたこともあるMark Mayがギターとボーカル。クリス・ジョンソンというサックス奏者もいて、彼は2本のギターと3つ目のハーモニー
パートも受け持っているんだ。本当に良いサウンドだよ。」

もうすぐABBは、半分しか埋まらない観客に向かって演奏してきた「あまり冴えなかったサマーツアー」を終了させる。Bettsとの問題がどうあれ、ファンは皆Betts抜きで活動を続けるという考え方に疑問を持つだろう。Betts抜きのABBを見るのは、キース・リチャーズ抜きのStonesを見る為に金を払うことのようなものだ。

「俺を追い出した後も俺の音楽をバンドが演奏し続けているなんておかしいね。」Bettsは苦い笑いして言う。「彼らがステージの上で俺が書いた曲を、俺にこんなことをした後でも演奏しているなんてぞっとするね。彼らは恥じるべきだよ。」
www.bostonherald.comに掲載されたインタビューを翻訳しました
実際に、今年のツアーのチケット売上は例年の40%程度に留まったそうです。Dickeyがいないのだから、それも仕方ないとは
思いますが..... 上の話の中にもありますが、メンバーとの状態は非常に悪そうですね。Butch氏との件は聞いている方が
ぞっとします!既にニューヨークで、代理人を交えたMeetingがあったが何も建設的なことはまとまらなかった、との情報も来
ています。この先どうなるのやら...... 状況を見守りましょう。
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Gregg Allman article from web....
Gregg Allmanが最後に必要とするのは、オートバイによる悲劇なのか。何日か前、彼のガールフレンドの父がミシシッピ州メリディアンでハーレーに乗っていた際、赤信号で飛び出してきたタクシーに不意打ちを喰らったのだ。

「彼は全然大丈夫だと思ったみたいなんだ。」 彼は既に二年前から煙草を止めているが、どんなチェーンスモーカーよりも荒々しい声でオールマンは語る。

こんなことに彼は何度も遭遇している。71年には、バンドがFILLMOREとともに絶頂に登りつめようとする時に、兄であるDUANEをオートバイ事故で亡くしている。また、1年後にはたった1ブロック先で同じような事故でベーシストだった
BERRYも亡くなっている。

だが、Greggはバイクに乗ることを愛している。San RafaelとNovatoに10年ほど住んでいた彼は、ハーレーに跨って
Sonoma Countyを抜け、チーズ工場に寄ったりしながら「ただ北を目指した」時のことをよく覚えている。

今彼はジョージア州サバンナ郊外に、川辺のプランテーションハウス(農場主が住むような邸宅)を改築して住んでいる。湿気は多いが、ベイエリアほどではないと言う。彼はついこの間裏庭にプールを作った。ガレージには、彼の3台の
ハーレーと共にピカピカのコルベットの新車が並んでいる。

「Fat boyスタイルだったヴェットを買ってね。今はガラリと改造してストリート・ロッドのようになってるんだ。その後、99年式ツィンカムのDYNA WIDE GLIDEを新車で買ったんだ。彼女はスポーツスターを買ったんだよ。」

生まれついてのランブリン・マンのGreggだが、バイクを跨るときには幾つかルールを決めている。「俺がやらないことは
2つあってね。」彼は語る。「高速には乗らないんだ。あと、夜には乗らないことにしてるんだよ。」

彼は、バイクに乗っていない時や、ツアーやレコーディングをしていない時は、彼のドックに座ってハマーヘッドシャークを釣ることに熱中している。川をジェットスキーで下ることも好きだそうだ。「水上ハーレーを買わなきゃ。」彼が笑いながら語るその様は、52歳のポニーテールのロッカーが叫びながらジョージアの沼地を走り抜ける姿を思い起こさせる。

彼が電話で喋っている間、彼に忠実なプードルの「ジャスミン」(彼はJazzyと呼ぶのを好んでいるようだった)が彼のそばに座っていた。Greggは彼女をツアー中どこへでも連れて行く。「彼女を置いていったりしないよ。」彼は言った。
髭をたくわえたGreggがそばに犬を従えている図は容易に想像できるが、それは年老いた猟犬とか、リトリーバーの類じゃないだろうか。それが、プードル?
「彼女はロードで、ほんとによく俺のことを助けてくれるよ。なんだか家にいるような感じにさせてくれるんだよ。」
あと何週間か、9月3日にKnocti HarborにABBが上陸するまでの間、彼はオフを楽しむことになっている。

今年のツアーは、他のバンドが夏の間再結成してツアーするのと同じようなものだが、違っているのは、メンバーのラインナップに核となる人間を欠いている、ということだ。ツアーに出てからほんの数週間で、オリジナルメンバーであるGregg、Butch、Jaimoeの3人は、今回のツアーからDICKEYを外すことを決めた。「個人的、そして音楽的相違」という内容のFAXを受け取ってから、BETTSは一時的にバンドからレイオフされている。「相違」とは、BETTSのアルコール等
の問題から派生してきたものであった。その一週間後、Bettsはフロリダの自宅を壊し、自殺を強要したということで逮捕
され、サラソタの更正施設に入れられた(注:逮捕はされていないとのことです)。

Greggはこの問題について聞かれることに「飽き飽きした」ことを認めながらも、しぶしぶ話し始めた。「まず第一に、FAXの何が問題で、そんなに大騒ぎしているのか理解できない。」「彼はよくいる電話に応えない奴らの一人なんだよ。だから、彼と意思の疎通を図ろうとするときは、いつもFAXかFEDEXだ。さもなければ誰かが、ドアまでノックしに行くか、はるばる彼のキッチンまで旅しなければならない、ってことなのさ。フロリダまでわざわざ行って、奴に『おい、見ろ!こんな演奏じゃ駄目だから一年ばかりレイオフさせてもらうぜ』なんてことだけ言えるかい?」「自分の時間に何をやろうと彼の勝手だけど、ステージで起こっていることに影響を与え始めたら、それは俺達を巻き込んでいる、ってことさ。」

これはまさに、Gregg本人も経験していることだ。79年には、彼の記憶が正しければ、彼もFAXで解雇されている。何故なら、彼も酒を飲みすぎて演奏できる状態になかったからだ。アトランタでリハビリを受けて、彼はバンドに戻った。彼が今中毒について知っていることを踏まえると、もし彼らがよく話せる状況にあったら、GreggはBettsに何と言うのだろう?

「奴は今まで俺が見た中で、何でも否定するという最悪の状況にいる、ってことを言ってやるだろうね。少なくとも俺が飲んだくれだった時は、俺はそれを認めていたよ。それと、誰かに助けを求めるように言いたいね。何故なら彼は単なるぜんまい人形じゃないんだから。心臓発作とか、そういうこともあるんだから。」

Greggがドラッグの恐怖について警告することは非常に重みがある。ロック界で生き延びた幸運な人間がいるとしたら、
Greggはまさにそのうちの一人だ。30年以上もの間、渋い声を持ったシンガーでありキーボーディストである彼は、アルコールとヘロインの中毒、その他のほぼ全ての中毒に悩まされてきたのだ。

彼が最後に酒を飲んでから4年が経とうとしている。何故彼が辞めようとしたのか?「俺は病気になっていることに飽き飽きしたんだよ。」

大多数のレビューから判断するに、Betts抜きのABBは未だタイトなバンドだと言える。Jimmy Herringが
Derek Trucksとともに空いた穴を塞いでいるのだ。若いDerekはとても将来有望で、時に伝説的なデュアンの演奏を思い起こさせる。「もう少しこの素晴らしいメンツに賭けてみようよよ。」Greggは若いギタリストに大きな期待を寄せる。

このツアーで、30年もの間殆ど演奏されなかった「Mountain Jam」を復活させようなんてアイデアが浮かんでくるなんて思いもよらなかったと、GREGGは言う。だが、どこに行っても忠実なファン達はこの曲を一番気に入っているようだ。

「誰かがこのアイデアを持ってきたんだ。こんな風なんだよ。リハーサルに皆来て、自分のアイデアを持ち寄るんだ。そしてそれをやってみて、見てみると、古きよき民主的なやり方に戻ってきたって訳なんだよ。」

この熱烈なロック界のサバイバーは、ソロでやろうともABBでやろうとも、未だに演奏することが楽しくてしょうがない感じである。「音楽が好きなんだ。波風立たぬように音楽が流れていく限り、全てがOKなんだよ。」
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Allen Woody's  Funeral Celemony.........

Gov't Mule、そして元ABBのAllen Woodyの葬儀では、普段まず見ることができないであろう ほとばしる愛と流れ出る悲しみを皆が目撃することとなった。

500人の参列者は、南部が送り出した最も影響力のある一人のベース・プレイヤーに最後の敬意 を払う為に葬儀に集まった。その中には、Artimus Pyle、Derek Trucks、DickeyBetts、Johnny Neelや、Screeming Cheetah Williesのメンバーの姿があった。 葬儀は、筆者の意見では、これまでの人生の中で最も心を動かされる経験の一つであることは 間違いない。これから皆さんの想像力を湧きたてるよう、葬儀の様子を伝えることにしたい。

Allenはカラフルなパッチワークが施されたキルトのベストを身につけ、旨のあたりでくねっている 龍のTシャツを着ていた。彼は、OAK材で作られた最も贅沢な棺桶の中に、これからゆっくり休め るよう、横たわっていた。棺桶の周りには彼と、彼の奥さん、そして美しい娘であるSavannahの コラージュが集められ、ABBとMuleでのAllenのplay時の写真と一緒に飾られていた。

葬儀の時間が近づくと、殆どの参列者は立席のみのチャペルに集まった。多くの花環に囲まれて、Allenが所有したおよそ15〜20のギターやベースが並べられていた。その光景は、Allenのような クラスのミュージシャンにとって相応しいものだっただろう。

葬儀が始まると、牧師は聖書からの文章を読み上げ、次にBlues TravelerのMountain wins againを流した。その曲の終わりに、牧師は再びPsalmsとMathewからの一節を読み上げた。 聖書朗読の終わりに、今度はWarren Haynesが作曲し、AllenとWarrenがABB時代に一緒に 演奏していたSoulshineが流れた。再び、場内は涙で溢れ返った。

Soulshineが終わりに差し掛かった頃、Allenの生涯の友人のうちの一人が壇上に上がり、彼との 最も古い思い出を語ると、場内の誰もが彼の中学生時代を想像していた。その友人は、バンドの 練習の時のエピソードを紹介した。Allenはいつもメトロームを持ち歩いていたが、練習中に メトロノームをつけ、ケースを閉じると、曲の途中でもう一度ケースを開け、しまいにはテンポが 変わっていることによりとても滑稽に曲が終わってしまった、なんてことがよくあった、という話 だった。

葬儀が進むと次に待っていたのは、葬儀全体の中でも最も心の痛むものであった。Warrenが Mattと、Drivin'& Cryin'のKevn Kinneyが「I shall be released」を演奏したのだ。この演奏に込めら れた感情は、計り知ることができないだろう。心は乱れ、目は潤んだ。そしてAllenが他界したと いう結末は私達には到底受け止めることのできないものだ、ということを実感したのだった。 葬儀が終わりを告げるとき、牧師はAllenの家族と参列者に、彼を安息の地に送り出す時が来た ことを告げた。 100ヤード歩いたところにはピンクのグラナイトでできた霊廟があり、白いリムジンがAllenを安息の地に連れようとしている。悲しみをこらえるWarrenやMatt、そしてその務めを任された栄誉ある 友人達が、棺をリムジンから下ろし、彼に敬意を表するため最後の言葉を掛ける場所となった テントまで運んだ。間もなく棺は霊廟に移され、参列者が見守り、祈るなかで封印された。

地面には白いバラの花びらが落ちていた。 その花びらは、彼の形見として持ち帰ることが許された。
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One For Woody
Live Report

亡きアレン・ウッディに捧げられるスペシャル・ベネフィットコンサートが昨晩NYのローズランド・ボールルームにて行われた。 出演したのはABB、Phil&Friends、Black Crowes、そしてWarren Haynes,Matt Abts & Friendsの 面々であった。PhilはSHOWをDark Starでスタートさせた。ラインナップにはWarrenとJimmy Herring、そしてJohn Moro, Rob Barracoという9月30日から始まるツアーと同じ顔ぶれが集まった。その他の ハイライトは、Unbroken ChainとアップテンポなバージョンのSunshine of your Loveであった。

次にステージに上がったのはABBで、ギターはWarrenとJimmyが受け持った。Derek Trucksは元々サウス キャロライナでShowが入っていたので今回は参加取りやめとなった。Little Miltonがshowの一部、 Soulshineなどで飛び入りした。Black CrowesのChirs&Rich兄弟はDreamsで登場し、ABBのベーシストであるOTEILが歌うFranklin's TowerではPhil Leshも参加した。

そしてBlack Crowesが登場、短いセットであったが、Bob MarleyのKinky Reggaeや、Shake your money maker、Fleetwood MacのOh wellを演奏、この2曲にはWarrenも飛び入りした。

最後の、そして長いセットはGov't Muleの残されたメンバー二人が様々なゲストのホスト役を務める形で 行われた。ゲストは以下の面々。 Dave Schools(Widespread Panic) Berry Oakley Jr(Blue Floyd) Eddie Lewis, Johnny Neel, Merl Saunders, Edwin McCain, Darius Rucker(Hootie & the Blowfish) Artimus Pyle(ex-Lynyrd Skynyrd) Kevn Kinney(Drivin'& Cryin') Michael Falzarano(Hot Tuna) Leslie West(Mountain)

この日早くに演奏した面々も、このセットの至るところで再登場している。Matt, Johnny Neel, Berry Jr, を含むBlue FloydのメンバーはWarrenを交えて、Pink FloydのShine on you crazy diamondを 演奏、そしてWish you were thereをPhilと一緒に歌った。他にもLay your burden down, Low spark on high heeled boys(Traffic), Cortez the Killer(Neil Young), Lovelight, Going down the road feeling bad, Mississippi QueenやNever in my life等を演奏した。

最後に演奏されたのはI shall be releasedで、多くの参加ミュージシャンがかわるがわるVocalを取った。

全ての売上金はSavannah Woody Education Fundに寄付される。

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